葉隠 / 聞書第十一
一、若き者共、歌草紙、盤上の様なる氣の拔くる事を仕るべからず。中野一門は樫の木の柄握つて武邊する役なり。一 萬能一心。一 内は犬の皮、外は虎の皮。一 恐惶に筆つひえず、禮に腰折れず。一 燒鳥にへい緒。一 走る馬にも鞭。一 面間ひに科なし。一 人は一代、名は末代。一 金銀は求むれば有るものなり、人は無きものなり。一 虚笑する者は臆病なり、女はへらはるものなり。一 一町の内にて、七度虚言いふが男なり。一 知つて問ふは禮なり、知らで問ふは法なり。一 一方見れば、八方見る。一 一を知つて萬をさとる。一 志は松の葉に包め。一 賴もしき者は曲者なり。一 袴の下に手を入るべからず、無用心なり。一 人前にて大口を明け、欠伸すべからず。扇を當つるか、衣紋の下にてすべし。〔山本神右衛門常々申し候詞〕一 萬能一心。一 内は犬の皮、外虎の皮。一 恐惶に筆つえず、禮に腰折れず。一 走り馬にも鞭。一 燒鳥にへい緒。一 面間ひに科なし。一 めん間ひに科なし。一 人は一代、名は末代。一 武士は細き事をせぬものなり、大桶を股に挾みて結ぶ者なり。一 歌草紙は人のもてあそびなり、中野一門は樫の木の柄にて武邊するなり。一 金銀は求めて有るもの、人と云ふ者なきなり。一 右同、一代たばことのみ申されざる事。一 召使の者に酒たばと禁制の事。一 不斷、所を馬屋の前に仕られ候事。一 我は黑米食たべ、馬に上白米食はされ候事。一 一代、夜は早臥、朝は一番に起き申され候事。一 供廻、小姓草履取使に遣り、又不掛合にても槍持一人にて歩行仕られ候。一 口上云ふ時、向の人の眼を見はりて云ふものなり。一 虚笑する者は臆病なり。女はへらはり申す由、申され候。一 一町内にて七度そら言云ふ者、男にてはなし、と申され候(註、との語、本文と反對の意に解せられるが、いはねば男でないの意であらう)。一 馬を乘組を附けぬ侍は侍にてはなし。一 知つて問ふは禮なり。知らで問ふは法なり。一 一方見れば八方見る。一 一を以て萬を喩る。一 一代、毎日さかやき剃り申され候。一 時宜深く、禮を深くする者、首を切らるべし、と申され候。一 姉樣など御出の時、寺井のしほゐを取り、上下にて御目にかけ申され候。一 志は松の葉につゝめ、と申され候。一 賴もしき者は曲者なり。一 召使など極惡の時、必ずひそかにおしかくし、暮に暇を出され候事。一 人の賴みと云ふ事、身にかへて心づかひ申され候事。一 御書拜領の時、即ち上下着、手水つかひ、拜見申され候事。一 御先祖樣御忌日毎に高傳寺其他御寺に花・野菜上げ申され候事。一 若き時より寄合ひたる人の死去なれば、法名をとり、生靈祭仕られ候事。一 死病の時も、うめきたけれども、神右衛門といはれたるがと云ひて、終にうめき聲仕られず候事。
新字:一、若き者共、歌草紙、盤上の様なる気の抜くる事を仕るべからず。中野一門は樫の木の柄握つて武辺する役なり。一 万能一心。一 内は犬の皮、外は虎の皮。一 恐惶に筆つひえず、礼に腰折れず。一 焼鳥にへい緒。一 走る馬にも鞭。一 面間ひに科なし。一 人は一代、名は末代。一 金銀は求むれば有るものなり、人は無きものなり。一 虚笑する者は臆病なり、女はへらはるものなり。一 一町の内にて、七度虚言いふが男なり。一 知つて問ふは礼なり、知らで問ふは法なり。一 一方見れば、八方見る。一 一を知つて万をさとる。一 志は松の葉に包め。一 頼もしき者は曲者なり。一 袴の下に手を入るべからず、無用心なり。一 人前にて大口を明け、欠伸すべからず。扇を当つるか、衣紋の下にてすべし。〔山本神右衛門常々申し候詞〕一 万能一心。一 内は犬の皮、外虎の皮。一 恐惶に筆つえず、礼に腰折れず。一 走り馬にも鞭。一 焼鳥にへい緒。一 面間ひに科なし。一 めん間ひに科なし。一 人は一代、名は末代。一 武士は細き事をせぬものなり、大桶を股に挟みて結ぶ者なり。一 歌草紙は人のもてあそびなり、中野一門は樫の木の柄にて武辺するなり。一 金銀は求めて有るもの、人と云ふ者なきなり。一 右同、一代たばことのみ申されざる事。一 召使の者に酒たばと禁制の事。一 不断、所を馬屋の前に仕られ候事。一 我は黒米食たべ、馬に上白米食はされ候事。一 一代、夜は早臥、朝は一番に起き申され候事。一 供廻、小姓草履取使に遣り、又不掛合にても槍持一人にて歩行仕られ候。一 口上云ふ時、向の人の眼を見はりて云ふものなり。一 虚笑する者は臆病なり。女はへらはり申す由、申され候。一 一町内にて七度そら言云ふ者、男にてはなし、と申され候(註、との語、本文と反対の意に解せられるが、いはねば男でないの意であらう)。一 馬を乗組を附けぬ侍は侍にてはなし。一 知つて問ふは礼なり。知らで問ふは法なり。一 一方見れば八方見る。一 一を以て万を喩る。一 一代、毎日さかやき剃り申され候。一 時宜深く、礼を深くする者、首を切らるべし、と申され候。一 姉様など御出の時、寺井のしほゐを取り、上下にて御目にかけ申され候。一 志は松の葉につゝめ、と申され候。一 頼もしき者は曲者なり。一 召使など極悪の時、必ずひそかにおしかくし、暮に暇を出され候事。一 人の頼みと云ふ事、身にかへて心づかひ申され候事。一 御書拝領の時、即ち上下着、手水つかひ、拝見申され候事。一 御先祖様御忌日毎に高伝寺其他御寺に花・野菜上げ申され候事。一 若き時より寄合ひたる人の死去なれば、法名をとり、生霊祭仕られ候事。一 死病の時も、うめきたけれども、神右衛門といはれたるがと云ひて、終にうめき声仕られず候事。
書き下し
一、若き者ども、歌草紙(うたぞうし)、盤上(ばんじょう)のような気の抜くる事を仕るべからず。中野一門は樫(かし)の木の柄(つか)握って武辺する役なり。一、万能一心。一、内は犬の皮、外は虎の皮。一、恐惶(きょうこう)に筆ついえず、礼に腰折れず。一、焼鳥(やきとり)にへい緒(お)。一、走る馬にも鞭(むち)。一、面間(めんあ)いに科(とが)なし。一、人は一代、名は末代。一、金銀は求むれば有るものなり、人は無きものなり。一、虚笑(きょしょう)する者は臆病なり、女はへらはるものなり。一、一町の内にて、七度(ななたび)虚言(そらごと)いうが男なり。一、知って問うは礼なり、知らで問うは法なり。一、一方見れば、八方見る。一、一を知って万をさとる。一、志は松の葉に包め。一、頼もしき者は曲者(くせもの)なり。一、袴(はかま)の下に手を入るべからず、無用心なり。一、人前にて大口を明け、欠伸(あくび)すべからず。扇を当つるか、衣紋(えもん)の下にてすべし。〔山本神右衛門常々申し候詞(ことば)〕一、万能一心。一、内は犬の皮、外虎の皮。一、恐惶に筆つえず、礼に腰折れず。一、走り馬にも鞭。一、焼鳥にへい緒。一、面間いに科なし。一、めん間いに科なし。一、人は一代、名は末代。一、武士は細き事をせぬものなり、大桶(おおおけ)を股に挟みて結ぶ者なり。一、歌草紙は人のもてあそびなり、中野一門は樫の木の柄にて武辺するなり。一、金銀は求めて有るもの、人という者なきなり。一、右同じ、一代たばこのみ申されざる事。一、召使の者に酒たばこ禁制の事。一、不断(ふだん)、所を馬屋の前に仕られ候事。一、我は黒米(くろごめ)食たべ、馬に上白米(じょうはくまい)食わされ候事。一、一代、夜は早臥(はやぶ)し、朝は一番に起き申され候事。一、供廻(ともまわ)り、小姓・草履取使に遣り、また不掛合(ふかかりあい)にても槍持一人にて歩行仕られ候。一、口上云う時、向いの人の眼を見張りて云うものなり。一、虚笑する者は臆病なり。女はへらはり申す由、申され候。一、一町内にて七度そら言云う者、男にてはなし、と申され候(註、「との」の語、本文と反対の意に解せらるるが、いわねば男でないの意であろう)。一、馬を乗り組を附けぬ侍は侍にてはなし。一、知って問うは礼なり。知らで問うは法なり。一、一方見れば八方見る。一、一を以て万を喩(たと)える。一、一代、毎日さかやき剃り申され候。一、時宜(じぎ)深く、礼を深くする者、首を切らるべし、と申され候。一、姉様など御出の時、寺井のしおいを取り、上下(かみしも)にて御目にかけ申され候。一、志は松の葉につつめ、と申され候。一、頼もしき者は曲者なり。一、召使など極悪の時、必ずひそかに押し隠し、暮れに暇を出され候事。一、人の頼みという事、身にかえて心遣い申され候事。一、御書拝領の時、即ち上下着、手水(ちょうず)つかい、拝見申され候事。一、御先祖様御忌日(ごきにち)ごとに高伝寺その他御寺に花・野菜上げ申され候事。一、若き時より寄合いたる人の死去なれば、法名を取り、生霊祭(いきりょうまつ)り仕られ候事。一、死病の時も、うめきたけれども、神右衛門といわれたるがと云いて、ついにうめき声仕られず候事。
現代語訳
山本常朝の父・山本神右衛門の教訓、および中野一門の武勇の心得や「万能一心」ほかの箇条書きである。若い者は、歌の草紙や碁将棋のような、気の緩む遊びに耽ってはならない。中野一門は樫の木の柄を握って武を務める家柄なのだ。以下、その言葉を並べる。――何事もひとつの心で貫く「万能一心」。内は犬の皮のように柔らかく、外は虎の皮のように厳しくあれ。かしこまった手紙でも筆勢を弱めず、礼を尽くしても腰を折りすぎるな。人は一代かぎりだが、名は末代まで残る。金銀は求めれば手に入るが、真の人材は求めても得難い。むやみに作り笑いをする者は臆病だ。志は松の葉に包むように、深く秘めよ。やたらと頼もしげに見える者はかえって曲者だ。人前で大口を開けてあくびをするな。――さらに神右衛門が日頃口にしていた言葉として、武士は細かいことにこだわらず大器であれ、金銀は得られても人は得難い、といった箴言が続く。加えてその実践として、生涯たばこを吸わず、召使にも酒たばこを禁じ、住まいをわざと馬屋の前に構え、自分は黒米を食べて馬には上白米を与え、夜は早く寝て朝は一番に起き、供を減らして槍持ち一人で歩き、話すときは相手の目を見据えて語った。過度にへつらう者や作り笑いの者を嫌い、頼まれごとは我が身に代えて心を配り、主君の書状を拝領すれば直ちに正装し手を清めて拝見した。先祖の命日ごとに寺へ花や野菜を供え、若い頃からの知己が亡くなれば法名を受けて弔い、死病のときでさえ「神右衛門ともあろう者が」と言って、ついに呻き声一つ漏らさなかった――こうした厳しい克己の生涯であった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・大略篇自ら其の行ひに嗛(あきた)らざる者は、言濫(らん)に過ぐ。古の賢人は、賤しくして布衣(ほい)為(た)り、貧しくして匹夫為り。食へば則ち饘粥(せんしゅく)も足らず、衣れば則ち豎褐(じゅかつ)も完(まった)からず。然り而して礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず。安(いづ)くんぞ此れを取らん。
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論語・憲問篇子曰わく、君子はその言にして行に過ぐるを恥ず。
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論語・子路篇子貢問いて曰く、「何如なれば斯れ之を士と謂う可き。」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして、君命を辱めざる、士と謂う可し。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「宗族孝を称し、郷党弟を称す。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな。抑々亦た以て次と為す可し。」曰く、「今の政に従う者は何如。」子曰く、「噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。」
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論語・里仁篇子曰わく、古者は言を出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。
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論語・憲問篇子曰わく、その言の怍(はじ)ざるは、これを為すこと難し。
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呉子・図国篇呉起、儒服にして兵機を以て魏の文侯に見ゆ。文侯曰く、「寡人は軍旅の事を好まず」と。起曰く、「臣は見るるところを以て隠れたるを占い、往きしを以て来たるを察す。主君何ぞ言と心と違うことを言わるるや。今、君は四時に人をして皮革を斬り離たしめ、掩うに朱漆を以てし、画くに丹青を以てし、爍かすに犀象を以てす。冬日に之を衣れば則ち温かならず、夏日に之を衣れば則ち涼しからず。長戟は二丈四尺、短戟は一丈二尺を為る。革車は戸を奄い、輪を縵にし轂を籠む。之を目に観れば則ち麗しからず、之に乗りて以て田すれば則ち軽からず。識らず、主君安んぞ此を用いんや。若し以て進みて戦い退きて守るに備うるも、能く用うる者を求めざれば、譬えば猶お伏鶏の狸を搏ち、乳犬の虎を犯すがごとし。闘心有りと雖も、之に随いて死せんのみ。昔、承桑氏の君は、徳を修めて武を廃し、以て其の国を滅ぼせり。有扈氏の君は、衆を恃み勇を好み、以て其の社稷を喪えり。明主は茲に鑒み、必ず内には文徳を修め、外には武備を治む。故に敵に当たりて進まざるは、義に逮ぶこと無きなり。僵屍して之を哀しむは、仁に逮ぶこと無きなり」と。是に於いて文侯は身自ら席を布き、夫人は觴を捧げ、呉起を廟に醮し、立てて大将と為し、西河を守らしむ。諸侯と大いに戦うこと七十六、全勝六十四、余は則ち鈞しく解く。土を四面に闢き、地を拓くこと千里なるは、皆な起の功なり。