葉隠 / 聞書第二
生嚙りは知りだてをする、よく知ると知つた振りはせぬ少し知りたる事、知りだてをするなり。初心なる事なり。よく知りたる事は、その振見えず、奧ゆかしきものなり。
新字:生嚙りは知りだてをする、よく知ると知つた振りはせぬ少し知りたる事、知りだてをするなり。初心なる事なり。よく知りたる事は、その振見えず、奥ゆかしきものなり。
書き下し
少し知りたる事、知りだてをするなり。初心(しょしん)なる事なり。よく知りたる事は、その振(ふり)見えず、奥(おく)ゆかしきものなり。
現代語訳
少しばかり知っていることを、いかにも知っている風に見せびらかすものだ。それは未熟な証拠である。本当によく知り抜いている事柄については、そういう素振りは表に出ず、かえって奥ゆかしく感じられるものだ。
解説
知識の見せびらかしを戒めた一条です。生嚙り、つまり中途半端に知っている者ほど、それを得意げにひけらかす。それはまだ未熟な証拠だといいます。本当に深く知り抜いた者は、あえて知識を誇示せず、その素振りさえ見せない。だからこそ、かえって奥ゆかしく、深みが感じられるというのです。実力ある者ほど静かで控えめだという逆説は、「能ある鷹は爪を隠す」にも通じる普遍的な人間観です。SNSなどで知識や成果を誇示しがちな現代だからこそ、真の熟達は物静かさに現れるというこの教えは、学びの姿勢を省みるうえで示唆に富みます。
この章句が説くこと
葉隠生嚙り謙虚奥ゆかしさ能ある鷹熟達
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