葉隠 / 聞書第二
自他の思ひ强く、人を惡み、えせ中などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
新字:自他の思ひ强く、人を悪み、えせ中などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
書き下し
自他の思ひ強く、人を悪み、えせ中(なか)などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉(ことごと)く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
現代語訳
人を憎むのは慈悲の心がないからで、すべてを慈悲の心の中に包み込んでしまえば、人と衝突することはない。自分と他人という隔ての思いが強く、人を憎んだり、うわべだけの不仲になったりするのは、慈悲の心が少ないからである。何もかもをことごとく慈悲の門の中に包み込んでしまえば、人と当たり合う(衝突する)ことはなくなるものだ。
解説
人を憎み、他人といさかいを起こすのは、慈悲の心が足りないからだと説く一条です。「自他の思ひ強く」、つまり自分と他人を鋭く隔てて見る心が、憎しみや対立を生む。逆に、すべての人を「慈悲門」——大きな思いやりの心の中——に包み込んでしまえば、そもそも当たり合うことがなくなる、というのです。武士道というと剛毅なイメージがありますが、常朝は同時に、慈悲を人間関係の根本に据えていました。対立の原因を相手ではなく自分の心の狭さに求める視点は、現代の人間関係やアンガーマネジメントにも通じる、成熟した知恵と言えます。
この章句が説くこと
葉隠慈悲慈悲門人間関係対立思いやり
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