葉隠 / 聞書第二
自他の思ひ强く、人を惡み、えせ中などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
新字:自他の思ひ強く、人を悪み、えせ中などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
書き下し
自他の思ひ強く、人を悪み、えせ中(なか)などするは慈悲のすくなき故なり。一切悉(ことごと)く慈悲門に括り込んでからは、あたり合ふことなきものなり。
現代語訳
人を憎むのは慈悲の心がないからで、すべてを慈悲の心の中に包み込んでしまえば、人と衝突することはない。自分と他人という隔ての思いが強く、人を憎んだり、うわべだけの不仲になったりするのは、慈悲の心が少ないからである。何もかもをことごとく慈悲の門の中に包み込んでしまえば、人と当たり合う(衝突する)ことはなくなるものだ。
解説
人を憎み、他人といさかいを起こすのは、慈悲の心が足りないからだと説く一条です。「自他の思ひ強く」、つまり自分と他人を鋭く隔てて見る心が、憎しみや対立を生む。逆に、すべての人を「慈悲門」——大きな思いやりの心の中——に包み込んでしまえば、そもそも当たり合うことがなくなる、というのです。武士道というと剛毅なイメージがありますが、常朝は同時に、慈悲を人間関係の根本に据えていました。対立の原因を相手ではなく自分の心の狭さに求める視点は、現代の人間関係やアンガーマネジメントにも通じる、成熟した知恵と言えます。
この章句が説くこと
葉隠慈悲慈悲門人間関係対立思いやり
関連する章句
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
-
孟子・告子章句上告子曰く、「性は猶ほ杞柳のごときなり。義は猶ほ桮棬(ハイ・ケン)のごときなり。人の性を以て仁義を為すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を為るがごときなり。」孟子曰く、「子能く杞柳の性に順いて、以て桮棬を為るか。將た杞柳を戕賊して、而る後以て桮棬を為るか。如し將た杞柳を戕賊して、以て桮棬を為らば、則ち亦た將た人を戕賊して、以て仁義を為すか。天下の人を率いて、仁義に禍いする者は、必ず子の言なるかな。」
-
菜根譚・前集人の恩を受くること、深しと雖も報いず。怨みは則ち浅きも亦た之に報ゆ。人の悪を聞くこと、隠なりと雖も疑わず。善は則ち顕なるも亦た之を疑う。此れ刻の極み、薄の尤なり。宜しく切に之を戒むべし。
-
菜根譚・前集恩を施す者は、内に己を見ず、外に人を見ずんば、則ち斗粟も万鍾の恵に当たるべし。物を利する者は、己の施を計り、人の報を責めば、百鎰と雖も一文の功を成し難し。
-
『呻吟語』内篇・應務・五に主有れば則ち事成らざる無し意見の同じからざればなり。今仁者・義者・禮者・智者・信者の五人有りて一事を共にせば、五相濟せば則ち事成らざる無く、五に主有れば則ち事敗れざる無し。仁者は寬を欲し、義者は嚴を欲し、智者は巧を欲し、信者は實を欲し、禮者は文を欲す。事胡ぞ以て成らんや。此れ他無し、自ら是とするの心勝ちて、相持するの勢均しければなり。往事を歷觀するに、每に意見を以て相爭ひ、人の國家を亡ぼすに至り、禍變を釀成して顧みざる有り。君子の罪大なるかな。
-
『呻吟語』外篇・品藻・人の相ひ病むこと終已無し中庸の道明らかならざるより、人の相ひ病むこと終已無し。狷介の人は和易なる者を病みて熟軟と為し、和易の人は狷介なる者を病みて乖戾と為す。率真の人は慎密なる者を病みて深險と為し、慎密の人は率真なる者を病みて粗疏と為す。精明の人は渾厚なる者を病みて含糊と為し、渾厚の人は精明なる者を病みて苛刻と為す。之を孔子に質さしめば、吾其の必ず公案有るを知る。孔子なる者は、千聖を一身に合し、萬善を一心に萃め、事に隨ひて時に之を出だし、人に因りて之を通變す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る