葉隠 / 聞書第二
五郎左衞門申し候は、奉公人の心入は、何時にても根本に替る事はこれなく候へども、御時代々々にて趣は替り申し候。直茂公勝茂公は、麁に入り細に入り、何事も闇き事なく御存知なされ候に付、萬事御下知の通りに勤め候て迦れこれなく、疑はしき事は御尋ね申上げ、御指南を受け申す事に候。これは仕よき奉公にて候。又御不案内の御主人の時は、隨分工夫思案致し、御國家を治めて上げさず候て罷成らず、これは大儀にて候由。
新字:五郎左衞門申し候は、奉公人の心入は、何時にても根本に替る事はこれなく候へども、御時代々々にて趣は替り申し候。直茂公勝茂公は、麁に入り細に入り、何事も闇き事なく御存知なされ候に付、万事御下知の通りに勤め候て迦れこれなく、疑はしき事は御尋ね申上げ、御指南を受け申す事に候。これは仕よき奉公にて候。又御不案内の御主人の時は、随分工夫思案致し、御国家を治めて上げさず候て罷成らず、これは大儀にて候由。
書き下し
五郎左衛門(ごろうざえもん)申し候は、奉公人(ほうこうにん)の心入(こころいれ)は、何時(いつ)にても根本に替(かわ)る事はこれなく候えども、御時代々々(おんじだいじだい)にて趣(おもむき)は替り申し候。直茂公(なおしげこう)勝茂公(かつしげこう)は、麁(そ)に入り細(さい)に入り、何事も闇(くら)き事なく御存知なされ候に付(つき)、万事御下知(ごげち)の通りに勤め候て迦(はず)れこれなく、疑わしき事は御尋ね申上げ、御指南を受け申す事に候。これは仕(し)よき奉公にて候。又御不案内(ごふあんない)の御主人の時は、随分(ずいぶん)工夫思案致し、御国家を治めて上げさず候て罷成(まかりな)らず、これは大儀(たいぎ)にて候由。
現代語訳
五郎左衛門が言うには、奉公人の心構えの根本はいつの時代も変わらないが、その時代ごとに趣は変わるものだ。直茂公・勝茂公は、大きなことから細かなことまで何事も知り尽くしておられたので、すべてご指示のとおりに勤めれば外れがなく、疑わしいことはお尋ねしてご指南を受ければよかった。これはやりやすい奉公である。しかし物事に通じておられない主君の時は、こちらが十分に工夫し思案して、国家を治めて差し上げなければならず、これは大変な奉公だ、というのである。
解説
この章句が説くこと
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