葉隠 / 聞書第一
「先祖の善惡は子孫の請取人次第」と遊ばされ候。先祖の惡事を顯さず、善事に成り行く樣に、子孫として仕樣あるべき事なり。これ孝行にて候。
新字:「先祖の善悪は子孫の請取人次第」と遊ばされ候。先祖の悪事を顕さず、善事に成り行く様に、子孫として仕様あるべき事なり。これ孝行にて候。
書き下し
「先祖の善悪は子孫の請取人(うけとりにん)次第」と遊ばされ候。先祖の悪事を顕さず、善事に成り行く様に、子孫として仕様(しよう)あるべき事なり。これ孝行にて候。
現代語訳
「先祖が善人だったか悪人だったかは、それを受け継ぐ子孫次第だ」と仰せられた。先祖の悪い行いを表沙汰にせず、よい方へと収まっていくように、子孫として工夫すべきである。それが孝行というものだ。
解説
先祖の評価は、それを受け継ぐ子孫の生き方しだいで決まる、と説く短い一条です。先祖に過ちがあっても、それを暴き立てず、善き方へと収まるよう子孫が振る舞うことこそ孝行だ、と言います。背景には、家の名誉を代々で守り継ぐという武士社会の家意識があります。過去を裁くのではなく、現在の自分の行いによって先人の名を立て直すという発想です。現代でも、親や先人の失敗を責めるより、自分がよく生きることで受け継いだものの意味を変えていける、という形で読み替えられるでしょう。過去は固定されず、受け手の生き方が過去の意味を書き換えていく、という前向きな見方です。
この章句が説くこと
孝行家の名誉過去の受け止め方先人を立てる責めない現在の行い
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