師導古典を学びたいすべての人に

葉隠 / 聞書第一

道とは我が非を知る事、念々に非を知つて一生打置かざる事なり。美作殿、一鼎など學問仲間面談にて、學問の話を仕懸けられ候へば、「各は物識にて結構の事に候。然れども道にうとき事は平人には劣るなり。」と一鼎申され候。宗龍寺江南和尚に付、「聖賢の道より外に道はあるまじ。」と一鼎申され候。江南申され候は、「物識の道に疎き事は、東に行く筈の者が西へ行くがごとくにて候。その仔細は、古の聖賢の言行を書物にて見覺え、早や我が身も聖賢の樣に思ひて、平人は虫の樣に見なすなり。これ道に疎き所にて候。道と云ふは、我が非を知る事なり。聖の字をヒジリと訓むは、非を知り給ふ故にて候。佛は一生打置かざるを道と云ふなり。念々に非を知つて、一生打置かざる道を道と云ふなり。知非便捨の四字を以て我が道を成就すると説き給ふなり。心に心を附けて見れば、一日の間に惡心の起ること數限りなく候。我はよしと思ふ事はならぬ筈なり。大高慢にて、我は日本無雙の勇士と思はねば、武勇を顯はす事は成り難し。武勇を顯はす氣の位これあるなり。口傳。

新字:道とは我が非を知る事、念々に非を知つて一生打置かざる事なり。美作殿、一鼎など學問仲間面談にて、學問の話を仕懸けられ候へば、「各は物識にて結構の事に候。然れども道にうとき事は平人には劣るなり。」と一鼎申され候。宗竜寺江南和尚に付、「聖賢の道より外に道はあるまじ。」と一鼎申され候。江南申され候は、「物識の道に疎き事は、東に行く筈の者が西へ行くがごとくにて候。その仔細は、古の聖賢の言行を書物にて見覺え、早や我が身も聖賢の様に思ひて、平人は虫の様に見なすなり。これ道に疎き所にて候。道と云ふは、我が非を知る事なり。聖の字をヒジリと訓むは、非を知り給ふ故にて候。仏は一生打置かざるを道と云ふなり。念々に非を知つて、一生打置かざる道を道と云ふなり。知非便捨の四字を以て我が道を成就すると説き給ふなり。心に心を附けて見れば、一日の間に悪心の起ること数限りなく候。我はよしと思ふ事はならぬ筈なり。大高慢にて、我は日本無双の勇士と思はねば、武勇を顕はす事は成り難し。武勇を顕はす気の位これあるなり。口伝。

書き下し

道とは我が非(ひ)を知る事、念々(ねんねん)に非を知つて一生打(う)ち置かざる事なり。美作殿(みまさかどの)、一鼎(いってい)など学問仲間(がくもんなかま)面談(めんだん)にて、学問の話を仕懸(しか)けられ候へば、「各(おのおの)は物識(ものし)りにて結構(けっこう)の事に候。然れども道にうとき事は平人(へいじん)には劣るなり」と一鼎申され候。宗龍寺(そうりゅうじ)江南和尚(こうなんおしょう)に付(つ)き、「聖賢(せいけん)の道より外(ほか)に道はあるまじ」と一鼎申され候。江南申され候は、「物識りの道に疎(うと)き事は、東に行く筈(はず)の者が西へ行くがごとくにて候。その仔細(しさい)は、古(いにしえ)の聖賢の言行(げんこう)を書物(しょもつ)にて見覚え、はや我が身も聖賢の様に思ひて、平人は虫の様に見なすなり。これ道に疎き所にて候。道といふは、我が非を知る事なり。聖の字をヒジリと訓むは、非を知り給ふゆゑにて候。仏(ほとけ)は一生打ち置かざるを道といふなり。念々に非を知つて、一生打ち置かざる道を道といふなり。知非便捨(ちひべんしゃ)の四字(よじ)を以て我が道を成就すると説き給ふなり。心に心を附けて見れば、一日の間に悪心(あくしん)の起こること数限りなく候。我はよしと思ふ事はならぬ筈なり。大高慢(だいこうまん)にて、我は日本無双(にほんむそう)の勇士と思はねば、武勇を顕(あらわ)す事は成り難し。武勇を顕はす気の位(くらい)これあるなり。口伝(くでん)。

現代語訳

道とは、自分の非(あやまち)を知ることであり、常に非を意識して、一生それを放っておかないことだ。美作殿や一鼎(石田一鼎)が学問仲間との対談で学問の話をもちかけられたとき、一鼎はこう言った。「皆さんは物知りで結構なことです。しかし道に疎いことでは、かえって普通の人に劣ります」。宗龍寺の江南和尚について、一鼎は「聖賢の道のほかに道はあるまい」と言った。すると江南が言うには、「物知りが道に疎いのは、東へ行くはずの者が西へ行くようなものです。というのは、古の聖賢の言行を書物で覚え、早くも自分まで聖賢のように思い込んで、普通の人を虫けらのように見なす。これが道に疎いところです。道とは、自分の非を知ることです。『聖』の字を『ひじり』と訓むのは、非を知られる(知り給う)からです。仏は、一生それを放っておかないことを道とします。常に非を意識し、一生放置しない道こそを道と言うのです。『知非便捨(非を知れば即ち捨てる)』の四字で自分の道を成就すると説かれています。心を注意深く見つめれば、一日の間に悪い心が起こることは数限りない。自分は正しいと思うことなどできないはずです」。とはいえ、大いなる自負をもって「自分は日本無双の勇士だ」と思わなければ、武勇を発揮することは難しい。武勇を現すための気概の高さがあるのだ。(以下、口伝。)

解説

「道とは我が非を知ること」という、『葉隠』の核心の一つを説く一条です。学問を積んで物知りになっても、それで自分を聖賢と思い上がり、他人を見下すなら、かえって普通の人に劣る、と手厳しく戒めます。江南和尚は「知非便捨(非を知れば即座に捨てる)」を挙げ、自分の過ちに一生気づき続け、放置しないことこそ道だと説きます。人の心には日々数えきれない悪心が起こるのだから、「自分は正しい」と安住してはならない、というのです。一方で末尾には、武勇のためにはむしろ強い自負も要るとあり、謙虚と気概の両立という『葉隠』らしい緊張も見えます。現代でも、知識や実績を得るほど慢心しやすいもの。自分の非を認め続ける姿勢は、成長を止めない土台になります。

この章句が説くこと

我が非を知る知非便捨慢心への戒め謙虚さ自己反省学問の落とし穴

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる