葉隠 / 聞書第一
「心の間はいかゞ答へん」と云ふ下の句程有難きはなし。大かた念佛に押並ぶべしと思はる〳〵。先は人の口に多くとゞまりてあるなり。今時の利口者と云ふは、智慧にて外をかざり紛らかす事ばかりをするなり。それ故鈍なる者には劣るなり。鈍なる者は直なり。右の下の句にて、心を究めて見れば隱所はなきなり。よき究役なり。此の究役に違うて恥かしからぬ様に、心を持ち度きなり。
新字:「心の間はいかゞ答へん」と云ふ下の句程有難きはなし。大かた念仏に押並ぶべしと思はる〳〵。先は人の口に多くとゞまりてあるなり。今時の利口者と云ふは、智慧にて外をかざり紛らかす事ばかりをするなり。それ故鈍なる者には劣るなり。鈍なる者は直なり。右の下の句にて、心を究めて見れば隠所はなきなり。よき究役なり。此の究役に違うて恥かしからぬ様に、心を持ち度きなり。
書き下し
はいかが答(こた)へん」といふ下(しも)の句ほど有難(ありがた)きはなし。おおかた念仏(ねんぶつ)に押並(おしなら)ぶべしと思はるる。まづは人の口に多くとどまりてあるなり。今時の利口者といふは、智慧にて外(そと)をかざり紛らかすことばかりをするなり。それゆゑ鈍なる者には劣(おと)るなり。鈍なる者は直(すなお)なり。右の下の句にて、心を究(きわ)めて見れば隠(かく)し所はなきなり。よき究役(きわめやく)なり。この究役に違(たが)うて恥(はず)かしからぬ様に、心を持ちたきなり。
現代語訳
近ごろの利口者は、知恵を使ってその場を取りつくろい、ごまかしてしまう。むしろ愚直な者のほうが素直で真っすぐだ。「心の間はいかが答えん(いざ心の内を問われたら、どう答えるのか)」という一句ほどありがたい言葉はない。念仏にも並べたいほどで、人々の口によく残っている。今の利口者は、知恵で外側を飾ってごまかすことばかりする。だから、かえって鈍い者に劣るのだ。鈍い者は真っすぐだからである。この一句に照らして自分の心を突き詰めれば、隠しどころなどありはしない。これはよい吟味役だ。この吟味に背いて恥ずかしくないよう、心を保っていたいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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