葉隠 / 聞書第一
古人の金言を賴み、人に談合する時は、遲れなく惡事あるべからず。
新字:古人の金言を頼み、人に談合する時は、遅れなく悪事あるべからず。
書き下し
古人の金言を頼み、人に談合する時は、遅(おく)れなく〔本文「迦れなく」、遅れなくの意か〕悪事あるべからず。
現代語訳
昔のすぐれた人の名言や行いを覚えておくのも、自分の我(が)を押し立てないためである。だから、よくよく人に相談せよ。古人の金言を拠りどころとし、人に相談して事を運べば、後れを取ることもなく、悪い結果になることはない。
解説
前の二条を受け、「我を立てない」ための具体策として、古人の言葉に学び、人に相談することを勧める短い一条です。名言や先人の行いを覚えるのは、知識の飾りにするためではなく、独りよがりの我を抑えるためだ、と釘を刺します。確かな拠りどころ(古人の教え)と、他者の視点(相談)――この二つを併せ持てば、判断を大きく誤ることはない、というのです。葉隠が一貫して警戒するのは、私心と独断です。現代でも、自分の経験だけを頼りに突き進むより、先人の知恵に学び、周囲に相談する人のほうが、大過なく事を運びます。学びと相談を「我を抑える装置」として使う、謙虚さの効用を説いた教えです。
この章句が説くこと
古人の金言学び相談我を抑える謙虚独断の戒め
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