五輪書 / 風の巻
目付と云ひて其流により敵の太刀に目を付るも有又は手に目を付る流も有或は顔に目を付或は足などに目を付るも有其ごとくとりわけて目を付んとしてはまぎるる心有て兵法のやまひといふ物になるなり其子細は鞠をける人は鞠に能目を付ね共びんずりをけおひまりをしながしてもけまはりてもける事物になるると云所あれば慥に目に見るに及ばず又はうかなどするもののわざにも其道になれては戸びらを鼻にたて刀を幾腰もたまなどにとる事是皆慥に目付とはなけれ共不㆑断手にふれぬればおのづから見ゆる所也兵法の道に於ても其敵其敵としなれ人の心の軽重を覚え道を行得ては太刀の遠近遅速迄も皆見ゆる儀也兵法の目付は大形其人の心に付たる眼也大分の兵法に至ても其敵の人数の位に付たる眼也観見二ツの見やう観の目つよくして敵の心を見其場の位を見大きに目を付て其戦のけいきを見其折ふしの強弱を見てまさしく勝事を得る事専也大小兵法に於てちひさく目を付る事なし前にもしるす如く濃にちひさく目を付るによつて大きなる事をとりわすれまよふ心出きて慥なる勝をぬかすもの也此利能々吟味して鍛錬有べき也
書き下し
目付(めつけ)と云ひて、其流により、敵の太刀に目を付るも有り。又は手に目を付る流も有り。或は顔に目を付け、或は足などに目を付るも有り。其ごとくとりわけて目を付んとしては、まぎるる心有りて、兵法のやまひといふ物になるなり。其子細は、鞠をける人は、鞠に能(よ)く目を付けねども、びんずりをけおひ、まりをしながしても、けまはりても、ける事、物になるると云ふ所あれば、慥(たし)かに目に見るに及ばず。又はうかなどするものの、わざにも、其道になれては、戸びらを鼻にたて、刀を幾腰もたまなどにとる事、是れ皆、慥かに目付とはなけれども、不断(ふだん)手にふれぬれば、おのづから見ゆる所なり。兵法の道に於ても、其敵其敵としなれ、人の心の軽重を覚え、道を行ひ得ては、太刀の遠近・遅速迄も、皆見ゆる儀なり。兵法の目付は、大形(おほかた)其人の心に付たる眼(まなこ)なり。大分の兵法に至りても、其敵の人数の位に付たる眼なり。観(くわん)・見(けん)二ツの見やう、観の目つよくして、敵の心を見、其場の位を見、大きに目を付て、其戦のけいきを見、其折ふしの強弱を見て、まさしく勝つ事を得る事、専なり。大小兵法に於て、ちひさく目を付る事なし。前にもしるす如く、濃(こまや)かにちひさく目を付るによつて、大きなる事をとりわすれ、まよふ心出できて、慥かなる勝をぬかすものなり。此利、能々(よくよく)吟味して、鍛錬有るべきなり。
現代語訳
「目付」といって、流派によっては敵の太刀に目をつけるものがあり、手につける流派もあり、顔につけたり足などにつけたりするものもある。しかしそのように一点にとりわけ目をつけようとすると、そこに気が紛れて、兵法の病というものになってしまう。なぜなら、鞠を蹴る人は鞠をよく見つめていなくても、蹴反りや蹴り流し、蹴りまわしまで自在にできるのは、体に馴染めば確かに目で見るまでもないからだ。また曲芸などをする者も、その道に慣れれば、戸板を鼻の上に立て、刀を何本も同時に手玉に取る。これらは皆、確かに目でしっかり見ているわけではないが、常に手に触れているうちに自然と見えてくるものなのだ。兵法の道でも、その敵その敵に馴れ、人の心の軽重を覚え、道を修めてゆけば、太刀の遠近・遅速まで皆見えてくる。兵法の目付とは、だいたいその人の心につけた眼なのである。集団の戦いに至っても、それは敵の軍勢の勢いにつけた眼だ。「観」と「見」の二つの見方があり、観の目を強くして敵の心を見、その場の位を見、大きく目をつけてその戦いの成り行きを見、その折々の強弱を見て、まさしく勝ちを得ることが肝要である。大小いずれの兵法でも、小さく一点に目をつけることはない。前にも記したように、こまやかに小さく目をつけると、大きなことを見落とし、迷いが生じて、確かな勝ちを取り逃すものだ。この道理をよくよく吟味して鍛錬すべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。
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