五輪書 / 火の巻
右書付る所一流剣術の場にしてたえず思ひよる事のみ云顕し置もの也今初て此利を書記物なればあとさきと書まぎるる心有てこまやかに云わけがたし乍去此道を学ぶべき人の為には心しるしに成るべきもの也我若年より以来兵法の道に心をかけて剣術一通りの事にも手をからし身をからし色々様々の心に成り他の流々をも尋見るに或は口にていひかこつけ或は手にてこまかなるわざをし人目によき様に見すると云ても一ツも実の心に有べからず勿論かやうの事しならひても身をきかせならひ心をきかせつくる事と思へ共皆是道のやまひとなりて後々までもうせがたくして兵法の直道世にくちて道のすたる基也剣術実の道になつて敵と戦ひ勝事此法と聊替事有べからず我兵法の智力を得て直なる所を行ふに於ては勝事うたがひ有べからざるもの也
書き下し
右書き付くる所、一流剣術の場にして、たえず思ひよる事のみ云ひ顕し置くものなり。今初めて此の利を書き記す物なれば、あとさきと書きまぎるる心有りて、こまやかに云ひわけがたし。乍(さり)去、此の道を学ぶべき人の為には、心しるしに成るべきものなり。我若年より以来、兵法の道に心をかけて、剣術一通りの事にも手をからし身をからし、色々様々の心に成り、他の流々をも尋ね見るに、或は口にていひかこつけ、或は手にてこまかなるわざをし、人目によき様に見すると云ても、一ツも実の心に有るべからず。勿論かやうの事しならひても、身をきかせならひ、心をきかせつくる事と思へども、皆是れ道のやまひとなりて、後々までもうせがたくして、兵法の直道(ぢきだう)世にくちて、道のすたる基(もとゐ)なり。剣術実の道になつて、敵と戦ひ勝つ事、此の法と聊(いささ)か替はる事有るべからず。我兵法の智力を得て、直(すぐ)なる所を行ふに於ては、勝つ事うたがひ有るべからざるものなり。
現代語訳
以上に書きつけたことは、我が一流の剣術の場で、絶えず思い当たることばかりを書き表しておいたものである。今はじめてこの理を書き記すので、前後が入り混じって、細かくは説き分けにくい。とはいえ、この道を学ぼうとする人のためには、心の道しるべとなるはずだ。私は若い頃から兵法の道に心をかけ、剣術一通りのことにも手を鍛え体を鍛え、さまざまな心境を経て、他の流派も尋ね見たが、あるものは口先で理屈をつけ、あるものは手先で細かい技をして、見た目をよく見せても、一つも本当の心(実の道)はなかった。もちろんそうしたことを習っても、体を利かせ心を利かせる修練だと思うだろうが、みなこれは「道の病」となって、後々まで抜けにくく、兵法のまっすぐな道が世に朽ちて、道が廃れるもとになる。剣術が本当の道となって、敵と戦って勝つことは、この(火の巻の)法と少しも違うことはない。我が兵法の知力を得て、まっすぐな道を行えば、勝つことは疑いないものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』難言第三順比滑澤、洋洋灑灑然
-
『韓非子』安危第二十五如此,則上無以使下,下無以事上。安危在是非,不在於強弱;存亡在虚實,不在於衆寡。
-
葉隠・聞書第一武具を立派にして置くは、よき嗜なれども、何にても數にさへ合へば濟むものなり。深堀猪之助が物具程袋を作り、名を書附け、銘々相應の軍器入れ置き申され候由。斯樣の事も、けたるがよきと覺えたり。岡部宮内は、組中の人數程袋を作り、名を書附け、銘々相應の軍器入れ置き申され候由。斯樣の事も、けたるがよき事、奧深き事なり。用意銀なども、大身の人持などは入る事なり。小身者などは、その期に用意なくば、寄親に兼々入魂して、唯早々駈出しして置くべし。頼みおくまでも濟むべし。さる程に、兼々寄親に入魂して置くべき事なり。何某は大阪夏陣の時、灰吹十二匁持ちて、圖書殿に附きて罷立たれ候。斯樣の世話も、のけたるがよきと覺えたり。