韓非子 / 安危第二十五
如此,則上無以使下,下無以事上。安危在是非,不在於強弱;存亡在虚實,不在於衆寡。
新字:如此,則上無以使下,下無以事上。安危在是非,不在於強弱;存亡在虚実,不在於衆寡。
書き下し
安危は是非に在りて、強弱に在らず。存亡は虚實に在りて、衆寡に在らず。
現代語訳
国の安泰と危機は、法令や規律の正しさにかかっており、見た目の強弱にはよらない。国の存亡は、実質があるかないかにかかっており、人口の多寡にはよらない。
解説
国が安泰か危ういかは、決まりや道理が正しく通っているかどうかで決まるのであって、見た目の強さ弱さでは決まりません。国が続くか滅びるかは、中身が伴っているかどうかで決まるのであって、人数の多い少ないでは決まらない、と韓非は言います。これは会社にも家族にも当てはまります。人数が多く売上が大きくても、決まりがなあなあで中身が空っぽなら、ちょっとしたきっかけで簡単に崩れます。逆に少人数の家庭や小さな集まりでも、筋の通った公平な決まりがあり、中身が充実していれば、外からの揺さぶりにもびくともしません。見かけの大きさより、中身の確かさを大切にすべきだという教えです。
この章句が説くこと
規模の経済組織の実態ガバナンス実質主義大企業病
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