五輪書 / 火の巻
剣をふむと云心は兵法に専ら用る儀也先大きなる兵法にしては弓鉄砲に於ても敵我方へ打かけ何事にてもしかくる時敵の弓鉄砲にてもはなちかけて其あとにかかるによつて又弓をつかひ又鉄砲に薬をこみてかかりこむ時こみ入かたし弓鉄砲にても敵のはなつ内にはやくかかる心也早くかかれば矢もつがひがたし鉄砲も打得ざる心也物毎を敵のしかくると其儘其利を受て敵のする事を踏付て勝心也 又一分の兵法も敵の打出す太刀のあとへ打てばとたんとたんとなりてはかゆかざる所也敵の打出す太刀は足にてふみ付る心にして打出す所をうち二度目を敵の打得ざる様にすべし踏と云は足には限るべからず身にてもふみ心にてもふみ勿論太刀にてもふみ付て二度目を敵に能させざる様に心得べし是則物毎の先の心也敵と一度にといひてゆきあたる心にてはなし其儘あとに付心也能々吟味有べし
書き下し
剣(けん)をふむと云ふ心は、兵法に専ら用(もち)ゐる儀なり。先(ま)づ大きなる兵法にしては、弓・鉄砲に於ても、敵我方へ打ちかけ、何事にてもしかくる時、敵の弓・鉄砲にてもはなちかけて、其のあとにかかるによつて、又弓をつかひ、又鉄砲に薬をこみてかかりこむ時、こみ入りかたし。弓・鉄砲にても、敵のはなつ内にはやくかかる心なり。早くかかれば、矢もつがひがたし、鉄砲も打ち得ざる心なり。物毎を、敵のしかくると其の儘、其の利を受けて、敵のする事を踏み付けて勝つ心なり。又一分の兵法も、敵の打ち出す太刀のあとへ打てば、とたん・とたんとなりて、はかゆかざる所なり。敵の打ち出す太刀は、足にてふみ付くる心にして、打ち出す所をうち、二度目を敵の打ち得ざる様にすべし。踏むと云ふは、足には限るべからず。身にてもふみ、心にてもふみ、勿論太刀にてもふみ付けて、二度目を敵に能(よ)くさせざる様に心得べし。是れ則ち物毎の先(せん)の心なり。敵と一度にといひて、ゆきあたる心にてはなし。其の儘あとに付く心なり。能々(よくよく)吟味有るべし。
現代語訳
「剣(けん)を踏む」という心は、兵法でもっぱら用いるものである。まず大きな兵法(合戦)では、弓や鉄砲でも、敵がこちらへ撃ちかけ、何か仕掛けてくるとき、敵が弓や鉄砲を放ってからその後に攻めかかると、(敵は)また弓を使い、また鉄砲に火薬を込めて構えてしまい、攻め込みにくい。だから弓・鉄砲でも、敵が放っているうちに素早く攻めかかる心持ちだ。早く攻めれば、矢もつがえられず、鉄砲も撃てない。何ごとも、敵が仕掛けてくるのをそのまま利用し、敵のすることを踏みつけて勝つ心である。また小さな兵法(個人戦)でも、敵の打ち出した太刀の後へ打つと、「とたん、とたん」と(打ち合いになって)はかどらない。敵の打ち出す太刀は足で踏みつける心持ちで、打ち出したところを打って、二度目を敵に打たせないようにすべきだ。「踏む」というのは足に限らない。体でも踏み、心でも踏み、もちろん太刀でも踏みつけて、二度目を敵にさせないよう心得よ。これがすなわち何ごとにおける先(先手)の心である。敵と同時に、といって行き当たる心ではない。(敵の動作の)そのまま後につく心だ。よくよく吟味すべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
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李衛公問対・卷中兵は主為るを貴び、客為るを貴ばず。速やかなるを貴び、久しきを貴ばず。
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李衛公問対・卷上兵を善く用うる者は、先ず測る可からざるを為せば、則ち敵は其の之く所に乖く。
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孫子・軍争篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、軍を合し衆を聚め、和を交へて舍る。軍争より難きは莫し。
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五輪書・火の巻三ツの先、一ツは我方より敵へかかる懸(けん)の先と云ふなり。又一ツは、敵より我方へかかる時の先、是れは待(たい)の先と云ふなり。又一ツは、我もかかり敵もかかりあふ時の先、体々(たいたい)の先と云ふ。是れ三ツの先なり。何れの戦ひ始にも、此の三ツの先より外はなし。先の次第を以て勝つ事を得るものなれば、先と云ふ事、兵法の第一なり。(中略)第一、懸の先、我かからんと思ふ時、静かにして居、俄(にはか)にはやくかかる先。(中略)第二、待の先、敵我方へかかりくる時、少しもかまはず、よわき様に見せて、敵近くなつて、づんと強くはなれて、飛付く様に見せて、敵のたるみを見て、直(すぐ)に強く勝つ事、是れ一ツの先。(中略)第三、体々の先、敵はやくかかるには、我静に強くかかり、敵近くなつて、づんと思ひきる身にして、敵のゆとりの見ゆる時、直に強く勝つ。(中略)此の三ツの先、時に随ひ理に随ひ、いつにても我方よりかかる事には非るものなれども、同じくは我方よりかかりて、敵をまはしたき事なり。何れも先の事、兵法の智力を以て、必ず勝つ事を得る心、能々(よくよく)鍛錬有るべし。
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五輪書・風の巻太刀の構へを専らにする所、ひが事なり。世の中に、構のあらん事は、敵のなき時の事なるべし。其子細は、昔よりの例、今の世の法などとして、法例をたつる事は、勝負の道には有るべからず。其あいての、あしき様にたくむ事なり。物毎に構と云ふ事は、ゆるがぬ所を用(もち)ゐる心なり。或は城をかまふる、或は陣をかまふるなどは、人にしかけられても、つよくうごかぬ心、是れ常の儀なり。兵法勝負の道に於ては、何事も先手先手と心懸くる事なり。かまふると云ふ心は、先手を待つ心なり。能々(よくよく)工夫有るべし。兵法勝負の道、人の構をうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或は敵をうろめかせ、或はむかつかせ、又はおびやかし、敵のまぎるる所の拍子の利をうけて勝つ事なれば、構と云ふ後手の心を嫌ふなり。然る故に、我道に有構無構(うこうむこう)といひて、構は有りて構は無きと云ふ所なり。大分の兵法にも、敵の人数の多少を覚え、其戦場の所を受け、我人数の位を知り、其徳を得て、人数をたて戦をはじむる事、それ合戦の専なり。人に先をしかけられたる事と、我人にしかくる時は、一倍もかはる心なり。太刀を能(よ)く構へ、敵の太刀を能く受け、能くはるとおぼゆるは、槍・長太刀を持(も)ちて、さくにふりたると同じ。敵を打つ時は、又さく木をぬきて、槍・長太刀につかふ程の心なり。能々(よくよく)吟味有るべき事なり。