五輪書 / 水の巻
多敵の位と云ふは一身にして大勢と戦ふ時の事也我刀脇差をぬきて左右へひろく太刀を横にすてて構る也敵は四方よりかかる共一方へおひまはす心也敵かかる位前後を見分て先へ進む者に早くゆき合ひ大きに目を付て敵打出すくらゐを得て右の太刀も左の太刀も一度にふりちがへて行く太刀にて前の敵を切り戻る太刀にて脇に進む敵を切る心なり太刀を振り違へて待事悪し早く両脇の位に構へ敵の出たる所を強く切込みおつくづして其儘又敵の出たる方へかかりふりくづす心也いかにもして敵をひとへにうをつなぎにおいなす心にしかけて敵のかさなると見えば其儘間をすかさず強くはらひこむべし敵あひこむ所ひたと追まはしぬればはかのゆきがたし 又敵の出るかた出るかたと思へば待心有りてはかゆきがたし敵の拍子をうけてくづるる所を知り勝事也折々相手を余り多くよせ追込付て其心を得れば一人の敵も十二十の敵も心やすき事也能稽古して吟味有るべき也
書き下し
多敵(たてき)の位と云ふは、一身にして大勢と戦ふ時の事なり。我刀・脇差をぬきて、左右へひろく太刀を横にすてて構るなり。敵は四方よりかかるとも、一方へおひまはす心なり。敵かかる位、前後を見分けて、先へ進む者に早くゆき合ひ、大きに目を付けて、敵打ち出すくらゐを得て、右の太刀も左の太刀も一度にふりちがへて、行く太刀にて前の敵を切り、戻る太刀にて脇に進む敵を切る心なり。太刀を振り違へて待つ事悪し。早く両脇の位に構へ、敵の出たる所を強く切り込み、おつくづして、其の儘又敵の出たる方へかかり、ふりくづす心なり。いかにもして、敵をひとへに、うをつなぎ(魚繋)におひなす心にしかけて、敵のかさなると見えば、其の儘間をすかさず、強くはらひこむべし。敵あひこむ所、ひたと追ひまはしぬれば、はかのゆきがたし。又、敵の出るかた出るかたと思へば、待つ心有りて、はかゆきがたし。敵の拍子をうけて、くづるる所を知り勝つ事なり。折々相手を余り多くよせ、追ひ込み付けて、其の心を得れば、一人の敵も、十・二十の敵も心やすき事なり。能(よ)く稽古して吟味有るべきなり。
現代語訳
「多敵の位」というのは、一人で大勢と戦うときのことである。刀と脇差を両方抜いて、左右へ広く太刀を横に構える。敵は四方から攻めてきても、(正面の)一方向へ追い回す心持ちだ。敵が攻めてくる形勢の前後を見分けて、先に進んでくる者へ素早く行き合い、大きく目を配って、敵が打ち出す機を捉え、右の太刀も左の太刀も一度に振り違えて、行く太刀で前の敵を斬り、戻る太刀で脇から進む敵を斬る心持ちだ。太刀を振り違えて(構えて)待つのは悪い。素早く両脇の構えを取り、敵が出てきたところを強く斬り込み、崩して、そのまままた別の敵が出てきた方へかかって崩していく。なんとかして敵を一列に、魚を数珠つなぎにするように追い込む心持ちで仕掛け、敵が重なって見えたら、すかさず間を置かず強く払い込む。敵が寄り集まるところを、ひたすら追い回してしまうと、はかどらない。また、敵が出てくる方、出てくる方と(受けに回って)思っていると、待つ心が生じて、はかどらない。敵の拍子(動き)を受けて、崩れるところを見抜いて勝つのだ。日頃からときどき、相手を大勢寄せて追い込む稽古をして、その要領を体得すれば、一人の敵も、十人・二十人の敵も、気楽なものだ。よく稽古して吟味すべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇孫子曰く、戦いを善くする者は、人を致して人に致されず。
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李衛公問対・卷上兵を善く用うる者は、先ず測る可からざるを為せば、則ち敵は其の之く所に乖く。
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
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尉繚子・戰權兵法に曰く、「千人にして権を成し、万人にして武を成す。権先づ人に加ふる者は、敵力交へず。武先づ人に加ふる者は、敵威接せず」と。故に兵は先を貴ぶ。此に勝てば、則ち彼に勝つ。此に勝たざれば、則ち彼に勝たず。凡そ我往けば則ち彼来たり、彼来たれば則ち我往き、相勝敗を為す、此れ戦の理の然るなり。夫れ精誠は神明に在り、戦権は道の極まる所に在り。有る者は之を無くし、無き者は之を有らしむ、安んぞ之を信ずる所あらん。先王の伝聞する所の者は、正に任じ詐を去り、其の慈順を存し、決して留刑無し。故に道を知る者は、必ず先づ止まるを知らざるの敗を図る、悪んぞ必ず往きて功有るに在らんや。軽く進みて戦を求むれば、敵復た止まるを図り、我往きて敵勝を制す。故に兵法に曰く、「求めて之に従ひ、見て之に加へ、主人敢へて当たらざるに之を陵げば、必ず其の権を喪ふ」と。凡そ奪はるる者は気無く、恐るる者は守るべからず、敗るる者は人無し、兵に道無ければなり。意往きて疑はざれば、則ち之に従ふ。敵を奪ひて前無ければ、則ち之に加ふ。明らかに視て高く居れば、則ち之を威す。兵の道極まれり。其の言謹み無ければ、偸みて失はしむ。其の陵犯節無ければ、破る。水のごとく潰し雷のごとく撃てば、三軍乱る。必ず其の危ふきを安んじ、其の患を去り、智を以て之を決す。之を高くするに廊廟の論を以てし、之を重くするに受命の論を以てし、之を鋭くするに踰垠の論を以てすれば、則ち敵国戦はずして服すべし。
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『新論』長計是れ所謂其の之く所を乖く者にして、実を変じて虚と為し、虚を転じて実と為す。此くの如くなれば、則ち神聖の夷狄を御する所以の略、彼倒用するを得ずして、彼の我を擾す所以の術、我将に之を倒用せんとす。然る後操縦の権、我より之を制す。廟謨既に定まり、上下心を同じくし、千塗万轍、必ず是の道に由りて変ぜず。是に於てか我の夷狄を御する所以の者は、即ち神聖の夷狄を御する所以にして、内に一定の略有りて、外に乗ずべきの虚無し。黠虜をして千群我を窺はしむと雖も、将た何を以て我が辺陲に陸梁するを得んや。(大猷公嘗て訳官島野兼了なる者を天竺に遣はす。兼了荷蘭の賈舶に乗り、諸国を周流し、遂に東海に往くこと三千里、一大国を得たり。以為へらく是の国宜しく神州に属すべしと。因りて碑を立てて題して日本国中と曰ふ。当時の規模の宏遠なること、亦見るべきなり。海東三千里なる者は、疑ふらくは即ち西夷の所謂亜墨利加洲なる者ならん。)
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李衛公問対・卷中千章万句、『人を致して人に致されず』を出でざるのみ。

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