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五輪書 / 地の巻

此道に於て太刀を振得たる者を兵法者と世に言伝へたり武芸の道に至て弓を能く射れば射手と云鉄砲を得たる者は鉄砲打と云ふ槍を遣ひ得ては槍遣と云ひ長刀を覚えては長刀遣と云ふ然るに於ては太刀の道を覚えたる者を太刀遣脇差遣といはん事也弓鉄砲槍長刀皆是武家の道具なればいづれも兵法の道也然共太刀よりして兵法と云事道理也 太刀の徳よりして世を納め身を納る事なれば太刀は兵法のおこる所也太刀の徳を得ては一人して十人に勝事也一人にして十人に勝なれば百人して千人に勝千人にして万人に勝然るによつて我一流の兵法に一人も万人も同じ事にして武士の法を残らず兵法と云所也 道に於て儒者仏者数寄者しつけ者乱舞者此等の事は武士の道にはなし其道に有らざると云ふ共道を広く知れば物事に出あふ事なり何れも人間に於て我道我道を能みがく事肝要也

書き下し

此の道に於て、太刀を振り得たる者を兵法者と、世に言ひ伝へたり。武芸の道に至りて、弓を能く射れば射手と云ひ、鉄砲を得たる者は鉄砲打ちと云ふ。槍を遣ひ得ては槍遣ひと云ひ、長刀を覚えては長刀遣ひと云ふ。然るに於ては、太刀の道を覚えたる者を、太刀遣ひ・脇差遣ひといはん事なり。弓・鉄砲・槍・長刀、皆是れ武家の道具なれば、いづれも兵法の道なり。然(しか)れども、太刀よりして兵法と云ふ事、道理なり。太刀の徳よりして、世を納め身を納むる事なれば、太刀は兵法のおこる所なり。太刀の徳を得ては、一人して十人に勝つ事なり。一人にして十人に勝つなれば、百人して千人に勝ち、千人にして万人に勝つ。然るによつて、我一流の兵法に、一人も万人も同じ事にして、武士の法を残らず兵法と云ふ所なり。道に於て、儒者・仏者・数寄者・しつけ者・乱舞者、此等の事は武士の道にはなし。其の道に有らずと云ふとも、道を広く知れば、物事に出あふ事なり。何れも人間(じんかん)に於て、我道我道を能(よ)く磨く事肝要なり。

現代語訳

この道では、太刀を振れるようになった者を「兵法者」と世間では言い伝えている。武芸一般でいえば、弓をうまく射れば射手、鉄砲を得手とすれば鉄砲打ち、槍を使いこなせば槍遣い、長刀を覚えれば長刀遣いと呼ぶ。それなら、太刀の道を覚えた者は太刀遣い・脇差遣いと呼ぶべきだ。弓・鉄砲・槍・長刀はみな武家の道具だから、どれも兵法の道である。しかし、その中でも太刀を基準にして「兵法」と呼ぶのが道理にかなっている。太刀の徳によって世を治め身を治めるのだから、太刀こそ兵法の起こる源だ。太刀の徳を身につければ、一人で十人に勝てる。一人で十人に勝てるなら、百人で千人に、千人で万人に勝てる。だから我が一流の兵法では、一人も万人も同じことであり、武士の法をすべて残らず「兵法」と呼ぶのである。世の道として、儒者・仏者・数寄者・礼法者・舞の者などがあるが、これらは武士の道そのものではない。だが、武士の道ではないとはいえ、道を広く知っておけば、いろいろな物事に対処できる。いずれにせよ人として、それぞれが自分の道をよく磨くことが肝要である。

解説

「兵法」という言葉の中心に太刀を据える理由を論じた一段です。弓・鉄砲・槍・長刀もすべて武家の道具であり兵法の道だが、その基準(起源)を太刀に置くのが道理だと武蔵は言います。太刀の徳によって世と身を治めるから、太刀こそ兵法の起こる源だという論法です。ここで重要なのは、後半の「一人で十人に勝てれば、百人で千人、千人で万人に勝てる」という拡張の論理です。個の技術で確立した勝ちの原理は、そのまま集団戦にも適用できる――だから我が一流では「一人も万人も同じ」であり、武士の法をすべて兵法と呼ぶ、と述べます。個人の武術と軍略を地続きのものとして捉える、武蔵の一貫した「一を以て万を知る」思想がここにも現れています。末尾では、儒・仏・芸能など武士本来の道でないものも、広く知っておけば物事への対処に役立つとし、それぞれが自分の道を磨くことの大切さを添えています。

この章句が説くこと

兵法太刀の徳一人万人同じ理一を以て万を知る我が道を磨く個と集団

この一句を、あなたの毎日に。

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