言志四録 / 南洲手抄
倫理物理、同一理也。我學倫理之學、宜近取諸身、即是物理。
新字:倫理物理、同一理也。我学倫理之学、宜近取諸身、即是物理。
書き下し
倫理と物理とは同一理なり。我れ倫理の学を学ぶ、宜しく近く諸を身に取るべし、即ち是れ物理なり。
現代語訳
倫理(人の道の理)と物理(物事の理)とは、同じ一つの理である。私が倫理の学を学ぶには、まず身近な自分の身に引き寄せて考えるべきだ。それがそのまま物理(物事の理を究めること)でもある。
解説
人の道の理(倫理)と自然・物事の理(物理)は別物ではなく、同じ一つの理だと説く一条です。宇宙を貫く理法と、人が守るべき道とは、根が一つ。だから倫理を学ぶといっても抽象論に走るのではなく、「近く諸を身に取る」——まず自分自身の身近な経験に引きつけて考えよ、と言います。それがそのまま物事の理を究めること(格物)にもなる。道徳と現実、理想と実際を切り離さず、足元の自分から出発する。倫理を高遠な建前と感じがちな私たちに、それは日々の身近な実践の中にあると引き寄せてくれる一条です。
この章句が説くこと
倫理と物理一理近取諸身実践
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