言志四録 / 南洲手抄
知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成體躯。則知行、是二而一、一而二。
新字:知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成体躯。則知行、是二而一、一而二。
書き下し
知は是れ行の主宰なり、乾道なり。行は是れ知の流行なり、坤道なり。合して以て体躯を成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。
現代語訳
知は行を導く主宰であり、天の道(乾)にあたる。行は知が現れ流れ出たものであり、地の道(坤)にあたる。両者が合わさって一つの体を成す。だから知と行は、二つでありながら一つ、一つでありながら二つなのである。
解説
知と行の関係を、易の乾坤(天地)になぞらえて説いた一条です。知は行を導く主宰=天(乾)、行は知が現れ出た流れ=地(坤)。天と地が合わさって一つの世界を成すように、知と行も合わさって一つの人格を成します。だから「知行合一」といっても、二つが融け合って区別がなくなるのではなく、「二にして一、一にして二」——役割は分かれつつ切り離せない、という微妙な均衡です。知に偏れば頭でっかち、行に偏れば無思慮になる。両輪をどう保つかを、天地の比喩で鮮やかに示した一条です。
この章句が説くこと
知行合一乾坤二にして一実践
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