顔氏家訓 / 風操
江南凡遭重喪、若相知者、同在城邑、三日不弔則絶之、除喪、雖相遇則避之、怨其不己憫也。有故及道遙者、致書可也、無書亦如之。北俗則不爾。江南凡弔者、主人之外、不識者不執手、識輕服而不識主人、則不於會所而弔、他日修名詣其家。
新字:江南凡遭重喪、若相知者、同在城邑、三日不弔則絶之、除喪、雖相遇則避之、怨其不己憫也。有故及道遥者、致書可也、無書亦如之。北俗則不爾。江南凡弔者、主人之外、不識者不執手、識軽服而不識主人、則不於会所而弔、他日修名詣其家。
書き下し
江南は凡そ重喪に遭うに、若し相い知る者、同じく城邑に在らば、三日弔せざれば則ち之を絶つ。喪を除きて、相い遇うと雖も則ち之を避く。其の己を憫れまざるを怨むなり。故有る及び道遥かなる者は、書を致せば可なり。書無ければ亦た之くの如し。北俗は則ち爾らず。江南は凡そ弔する者、主人の外、識らざる者とは手を執らず。軽服を識りて主人を識らざれば、則ち会所において弔せず、他日名を修めて其の家に詣る。
現代語訳
江南では、重い喪に遭ったとき、知り合いが同じ町にいながら三日以内に弔問しなければ、その人と絶交する。喪が明けて出会っても、避けて通る。自分を憐れんでくれなかったことを怨むからである。事情があったり道が遠かったりする者は、手紙を出せばよい。手紙もなければ、やはり同じことになる。北方の風俗はそうではない。江南では弔問する者は、喪主以外の、面識のない人とは手を取らない。軽い喪服の人だけを知っていて喪主を知らない場合は、その場では弔問せず、後日名刺を出してその家を訪ねる。
解説
三日以内に弔問しなければ絶交、という厳しさです。手紙一通でもよいが、何もなければ関係は終わる。冷酷にも見えますが、裏返せば、最も苦しいときに誰が来たかで人間関係を定義するという明確な基準です。しかも期限が三日と決まっている。曖昧に「気持ちがあれば」ではなく、行動と期限で測る。ここには、平時の付き合いよりも有事の反応を重く見る価値観があります。取引先や同僚が困難に遭ったとき、三日以内に何らかの形で連絡したかどうか。忙しさを理由に先送りしているうちに、相手の中で関係が終わっていることがあります。
この章句が説くこと
三日弔せざれば之を絶つ書を致せば可なり有事の反応期限
関連する章句
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『顔氏家訓』風操先人に言い及べば、理として当に感慕すべし。古者の易しとする所、今人の難しとする所なり。江南の人事、已むを獲ざれば、閥閲を言うを須つも、必ず文翰を以てし、面論する者有ること罕なり。北人は何ぞ無くして便ち爾く話説し、相い訪問するに及ぶ。此くの如きの事は、人に加うべからず。人諸を己に加うれば、則ち当に之を避くべし。
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『顔氏家訓』風操南人は冬至歳首に、喪家に詣らず。若し書を修めざれば、則ち節を過ぎて束帯し以て慰めを申ぶ。北人は歳に至るの日、重ねて弔礼を行う。礼に明文無ければ、則ち吾取らず。南人は賓至るも迎えず、相い見えて手を捧げて揖せず、客を送るに席を下るのみ。北人は迎送並びに門に至り、相い見ゆれば則ち揖す。皆な古の道なり。吾は其の迎揖を善しとす。
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『顔氏家訓』風操偏傍の書に、死には帰殺有りとす。子孫逃竄して、肯えて家に在る莫し。瓦に画き符を書し、諸の厭勝を作す。喪の出づるの日、門前に火を然やし、戸外に灰を列ね、家鬼を祓い送り、注連を章断す。凡そ此くの如きの比は、有情に近からず。乃ち儒雅の罪人なり。弾議の当に加うべき所なり。
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