顔氏家訓 / 風操
禮云:「忌日不樂。」正以感慕罔極、惻愴無聊、故不接外賓、不理眾務耳。必能悲慘自居、何限於深藏也?世人或端坐奧室、不妨言笑、盛營甘美、厚供齋食、迫有急卒、密戚至交、盡無相見之理:蓋不知禮意乎!
新字:礼云:「忌日不楽。」正以感慕罔極、惻愴無聊、故不接外賓、不理衆務耳。必能悲惨自居、何限於深蔵也?世人或端坐奥室、不妨言笑、盛営甘美、厚供斎食、迫有急卒、密戚至交、尽無相見之理:蓋不知礼意乎!
書き下し
礼に云う、「忌日には楽しまず」と。正に感慕罔極、惻愴無聊なるを以て、故に外賓を接せず、衆務を理めざるのみ。必ず能く悲惨自ら居らば、何ぞ深く蔵るるに限らんや。世人或いは奥室に端坐し、言笑を妨げず、盛んに甘美を営み、厚く斎食を供す。迫りて急卒有るに、密戚至交も、尽く相い見ゆるの理無し。蓋し礼意を知らざるか。
現代語訳
『礼記』にいう。「忌日には楽しまない」。それはまさに、慕う気持ちが果てしなく、悲しみが晴れないからこそ、外の客に会わず、多くの用務を処理しないというだけのことである。本当に悲しみの中に身を置けるのなら、どうして奥に引きこもることに限る必要があろうか。世間の人はときに奥まった部屋に端座して、笑い話は妨げず、盛んに美味を用意し、手厚く精進料理を供する。急な用件が迫っても、近しい親戚や親友でさえ、まったく会おうとしない。これは礼の意味を知らないというものであろう。
解説
忌日に外部の客に会わず用務を処理しないのは、悲しくて手につかないからだ——目的が先にあって、行動はその結果にすぎない。ところが世間では順序が逆転しています。奥に籠もるという形だけを守り、中では談笑し、ご馳走を並べ、急用があっても親友にすら会わない。形式が目的から切り離され、免罪符になっている。「蓋し礼意を知らざるか」という結びが辛辣です。組織の中の休日、集中期間、会議禁止日といった仕組みも同じ運命をたどります。目的から切れた瞬間、それは仕事を断る口実になる。形を守っているかではなく、目的が生きているかを問うことです。
この章句が説くこと
忌日には楽しまず感慕罔極礼意を知らず形式と目的礼
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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