顔氏家訓 / 風操
南人冬至歲首、不詣喪家、若不修書、則過節束帶以申慰。北人至歲之日、重行弔禮、禮無明文、則吾不取。南人賓至不迎、相見捧手而不揖、送客下席而已、北人迎送幷至門、相見則揖、皆古之道也、吾善其迎揖。
新字:南人冬至歳首、不詣喪家、若不修書、則過節束帯以申慰。北人至歳之日、重行弔礼、礼無明文、則吾不取。南人賓至不迎、相見捧手而不揖、送客下席而已、北人迎送幷至門、相見則揖、皆古之道也、吾善其迎揖。
書き下し
南人は冬至歳首に、喪家に詣らず。若し書を修めざれば、則ち節を過ぎて束帯し以て慰めを申ぶ。北人は歳に至るの日、重ねて弔礼を行う。礼に明文無ければ、則ち吾取らず。南人は賓至るも迎えず、相い見えて手を捧げて揖せず、客を送るに席を下るのみ。北人は迎送並びに門に至り、相い見ゆれば則ち揖す。皆な古の道なり。吾は其の迎揖を善しとす。
現代語訳
南方の人は冬至や年始に、喪中の家を訪ねない。もし手紙を出さなかったなら、節句が過ぎてから正装して弔意を述べに行く。北方の人は年の改まる日に、あらためて弔いの礼を行う。礼の書に明文がないので、私はこれを採らない。南方の人は客が来ても出迎えず、対面しても手を捧げるだけで会釈をせず、客を送るにも席を下りるだけである。北方の人は出迎えも見送りも門まで行き、対面すれば会釈をする。どちらも古のやり方である。私は北方の出迎えと会釈のほうを善しとする。
解説
南北の作法を並べて、顔之推が自分の採否を明示した一段です。基準が二つ示されています。年始の弔礼については「礼に明文無ければ取らず」——典拠がないものは採らない。出迎えと会釈については「皆な古の道なり、吾は其の迎揖を善しとす」——どちらも典拠があるので、そのうえで自分の判断で選ぶ。典拠の有無で扱いを変えています。彼は南朝の出身ですが、ここでは北方の作法を採りました。出身や馴染みではなく、根拠と中身で選んでいます。慣行を採否するときの手順として使えます。まず典拠があるかを確かめ、どちらにもあるなら、自分がどちらを良いと判断するかを言葉にする。
この章句が説くこと
礼に明文無ければ取らず迎送並びに門に至る吾は其の迎揖を善しとす採否の手順
関連する章句
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