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顔氏家訓 / 風操

己孤、而履歲及長至之節、無父、拜母、祖父母、世叔父母、姑、兄、姊、則皆泣、無母、拜父、外祖父母、舅、姨、兄、姊、亦如之:此人情也。

新字:己孤、而履歳及長至之節、無父、拝母、祖父母、世叔父母、姑、兄、姊、則皆泣、無母、拝父、外祖父母、舅、姨、兄、姊、亦如之:此人情也。

書き下し

己孤にして、歳を履み長至の節に及ばば、父無くして、母・祖父母・世叔父母・姑・兄・姊を拝すれば、則ち皆な泣く。母無くして、父・外祖父母・舅・姨・兄・姊を拝するも、亦た之くの如し。此れ人情なり。

現代語訳

自分が親を亡くしていて、年が改まる日や冬至の節を迎えたとき、父がいない者が、母や祖父母、伯父叔父夫婦、叔母、兄、姉に拝礼すれば、みな涙が出る。母がいない者が、父や母方の祖父母、伯父、叔母、兄、姉に拝礼するときも、同じである。これが人の情である。

解説

短い一段ですが、風操篇の中で位置が重要です。前の二段で俗信を厳しく批判した直後に、「此れ人情なり」と置かれています。年始や冬至に一族が集まって挨拶を交わす、その場に本来いるはずの人がいない。だから涙が出る。禁忌や作法の規定ではなく、ただ事実として書かれています。顔之推が守ろうとしているのは規則ではなく、この「人情」のほうだと分かります。前段で俗信を退けたのも、それが人情に反していたからでした。制度や慣行を評価するときの最終的な物差しが、ここに置かれている。何を残し何を捨てるかの基準を、人の自然な感情に置くという立場です。

この章句が説くこと

歳を履み長至の節此れ人情なり拝して泣く最終的な物差し

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