顔氏家訓 / 風操
凡與人言、稱彼祖父母、世父母、父母及長姑、皆加尊字、自叔父母已下、則加賢字、尊卑之差也。王羲之書、稱彼之母與自稱己母同、不云尊字、今所非也。
新字:凡与人言、称彼祖父母、世父母、父母及長姑、皆加尊字、自叔父母已下、則加賢字、尊卑之差也。王羲之書、称彼之母与自称己母同、不云尊字、今所非也。
書き下し
凡そ人と言うに、彼の祖父母・世父母・父母及び長姑を称するには、皆な尊の字を加う。叔父母より已下は、則ち賢の字を加う。尊卑の差なり。王羲之の書には、彼の母を称すること自ら己が母を称するのと同じくして、尊の字を云わず。今は非とする所なり。
現代語訳
およそ人と話すとき、相手の祖父母・伯父伯母・父母および年長の叔母を呼ぶには、みな「尊」の字を添える。叔父叔母から下は「賢」の字を添える。尊卑の差である。王羲之の手紙では、相手の母を呼ぶのに自分の母を呼ぶのと同じ言い方をして、「尊」の字を使っていない。今ではこれを誤りとしている。
解説
敬称の段階づけです。相手の父母や祖父母には「尊」、叔父叔母以下には「賢」。二段階の使い分けが定められています。面白いのは、王羲之ほどの人物の用例が「今は誤りとされる」と書かれていることです。前段の「古人の行う所、今人の笑う所」と同じ論理で、権威ある先例より現在の合意が優先されています。敬語の運用でも同じことが起きます。過去の名文や社内の古い文書を根拠にしても、いま通じなければ意味がない。同時に、二段階に分けているという点も実務的です。すべてを一律に丁寧にするのではなく、差を付けることで敬意が伝わる仕組みになっています。
この章句が説くこと
尊字と賢字尊卑の差王羲之の書敬称の段階孝
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