顔氏家訓 / 風操
梁世謝舉、甚有聲譽、聞諱必哭、爲世所譏。又有臧逢世、臧嚴之子也、篤學修行、不墜門風、孝元經牧江州、遣往建昌督事、郡縣民庶、競修箋書、朝夕輻輳、幾案盈積、書有稱「嚴寒」者、必對之流涕、不省取記、多廢公事、物情怨駭、竟以不辦而還。此幷過事也。
新字:梁世謝舉、甚有声誉、聞諱必哭、為世所譏。又有臧逢世、臧厳之子也、篤学修行、不墜門風、孝元経牧江州、遣往建昌督事、郡県民庶、競修箋書、朝夕輻輳、幾案盈積、書有称「厳寒」者、必対之流涕、不省取記、多廃公事、物情怨駭、竟以不辦而還。此幷過事也。
書き下し
梁世の謝挙は、甚だ声誉有り。諱を聞けば必ず哭し、世の譏る所と為る。又た臧逢世有り、臧厳の子なり。学を篤くし行いを修め、門風を墜さず。孝元江州に経牧するや、遣わして建昌に往きて事を督せしむ。郡県の民庶、競いて箋書を修め、朝夕輻輳し、幾案に盈積す。書に「厳寒」と称する者有れば、必ず之に対して流涕し、省みて記を取らず、多く公事を廃す。物情怨駭し、竟に弁ぜざるを以て還る。此れ並びに事に過ぐるなり。
現代語訳
梁の謝挙は、たいへん評判の高い人であった。亡き親の忌み名を聞くと必ず声を上げて泣き、世間から笑われた。また臧逢世という人がいた。臧厳の子で、学問に篤く行いを修め、家の名を落とさなかった。梁の元帝が江州を治めていたとき、建昌に派遣して事務を監督させた。郡県の役人や民が争って書状を出し、朝も夕も殺到して、机の上に積み上がった。その書状に「厳寒」の二字があると、必ずそれに向かって涙を流し、目を通して処理をせず、多くの公務を放り出した。人々は怨み驚き、結局は職務を果たせないまま帰任した。これらはどちらも度を越している。
解説
父の名が「厳」だったために、書状の「厳寒」という決まり文句を見るたびに泣き、公務が止まった話です。臧逢世は不真面目な人ではありません。学問に篤く、家名も落とさなかった。だからこそ怖い。孝という正しい価値を極端まで貫いた結果、任された仕事を放棄し、人々を怨ませ、任地から追い返されました。顔之推の評は「並びに事に過ぐる」——どちらもやりすぎだ、の一言です。正しい価値であっても、度を越せば職責を壊す。組織でも、品質、安全、公平といった正しい旗が、極端まで振られると別の破綻を生みます。何を守っているつもりで、実際に何を壊しているかを見ることです。
この章句が説くこと
謝挙臧逢世厳寒に流涕す並びに事に過ぐ正しさの過剰
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