顔氏家訓 / 風操
禮曰:「見似目瞿、聞名心瞿。」有所感觸、惻愴心眼、若在從容平常之地、幸須申其情耳。必不可避、亦當忍之、猶如伯叔兄弟、酷類先人、可得終身腸斷、與之絶耶?又:「臨文不諱、廟中不諱、君所無私諱。」益知聞名、須有消息、不必期於顛沛而走也。
新字:礼曰:「見似目瞿、聞名心瞿。」有所感触、惻愴心眼、若在従容平常之地、幸須申其情耳。必不可避、亦当忍之、猶如伯叔兄弟、酷類先人、可得終身腸断、与之絶耶?又:「臨文不諱、廟中不諱、君所無私諱。」益知聞名、須有消息、不必期於顛沛而走也。
書き下し
礼に曰く、「似たるを見て目瞿し、名を聞きて心瞿す」と。感触する所有れば、心眼に惻愴たり。若し従容平常の地に在らば、幸わくは須らく其の情を申ぶべきのみ。必ず避くべからざれば、亦た当に之を忍ぶべし。猶お伯叔兄弟の、酷だ先人に類するがごとし。終身腸を断ちて、之と絶つを得べけんや。又た「文に臨みては諱まず、廟中にては諱まず、君の所にては私諱無し」と。益ます知る、名を聞くには、須らく消息有るべく、必ずしも顛沛して走るを期せざるなり。
現代語訳
『礼記』にいう。「亡き親に似た人を見れば目が驚き、亡き親の名を聞けば心が驚く」。何かに触れて感じるところがあれば、心にも目にも痛みが走る。もしゆったりとした普段の場であれば、その情を素直に表せばよい。どうしても避けられない場であれば、堪えるべきである。それはちょうど、伯父や叔父や兄弟が亡き親にひどく似ているようなものだ。生涯腸を断つ思いだからといって、その人たちと縁を切れるだろうか。また『礼記』にいう。「書物を読むときには忌み名を避けず、廟の中では避けず、君主の前では私的な忌み名はない」。これでいよいよ分かる。親の名を聞いたときには、場に応じた加減があるべきで、必ずしも取り乱して走り出す必要はない。
解説
亡き親の名を聞いたときの悲しみは本物だが、それをどこでどう表すかは別だ、という一段です。くつろいだ場なら素直に出せばよい。避けられない公の場では堪える。根拠として『礼記』を引き、書物を読むとき、廟の中、君主の前では忌み名を避けないという例外規定を示しました。感情の真偽ではなく、場に応じた加減の問題だと切り分けています。悲しみや怒りを職場でどう扱うかにそのまま通じます。感じるなという話ではなく、感じたものを出す場所と出さない場所を分けるという技術です。次の段では、この加減を失った二つの実例が出てきます。
この章句が説くこと
名を聞きて心瞿す文に臨みては諱まず場に応じた加減感情の扱い節度
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