顔氏家訓 / 治家
江東婦女、略無交遊、其婚姻之家、或十數年間、未相識者、惟以信命贈遺、致殷勤焉。鄴下風俗、專以婦持門戶、争訟曲直、造請逢迎、車乘填街衢、綺羅盈府寺、代子求官、爲夫訴屈。此乃恆、代之遺風乎?
新字:江東婦女、略無交遊、其婚姻之家、或十数年間、未相識者、惟以信命贈遺、致殷勤焉。鄴下風俗、専以婦持門戸、争訟曲直、造請逢迎、車乗填街衢、綺羅盈府寺、代子求官、為夫訴屈。此乃恒、代之遺風乎?
書き下し
江東の婦女は、略ぼ交遊無し。其の婚姻の家、或いは十数年の間、未だ相い識らざる者あり。惟だ信命贈遺を以て、殷勤を致すのみ。鄴下の風俗は、専ら婦を以て門戸を持す。曲直を争訟し、造請逢迎す。車乗街衢に填ち、綺羅府寺に盈つ。子に代わりて官を求め、夫の為に屈を訴う。此れ乃ち恒・代の遺風か。
現代語訳
江南の女性たちは、ほとんど外との交際がない。縁組をした家同士でも、十数年のあいだ顔を合わせたことがないという例さえある。ただ使者や手紙、贈り物によって心を通わせるだけである。鄴の風俗では、もっぱら女性が家を取り仕切る。訴訟で理非を争い、人を訪ね出迎える。その乗る車が街路を埋め、着飾った姿が役所に満ちる。子に代わって官職を求め、夫のために不当を訴える。これは北方の恒州・代州あたりの風習の名残なのだろうか。
解説
前段で妻を家政に限れと説いた直後に、顔之推は北方の実際を書きます。鄴では女性が家を取り仕切り、訴訟に出て、子の官職を求め、夫の冤罪を訴える。役所は着飾った女性で満ちている。彼はこれを北方の遊牧系の風習の名残ではないかと推測しました。批判の口ぶりではありますが、事実として記録した意味は大きい。自分の理念と目の前の現実が食い違うとき、現実のほうを書き残しておく——この姿勢が顔氏家訓を史料として価値あるものにしています。自分の考えに合わない事実を、無かったことにせず記録できるかどうかは、書き手の質を分けます。
この章句が説くこと
鄴下は婦を以て門戸を持す恒代の遺風江東の婦女合わない事実を残す
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