顔氏家訓 / 治家
婦主中饋、惟事酒食衣服之禮耳、國不可使預政、家不可使幹蠱、如有聰明才智、識達古今、正當輔佐君子、助其不足、必無牝雞晨鳴、以致禍也。
新字:婦主中饋、惟事酒食衣服之礼耳、国不可使預政、家不可使幹蠱、如有聰明才智、識達古今、正当輔佐君子、助其不足、必無牝鶏晨鳴、以致禍也。
書き下し
婦は中饋を主る。惟だ酒食衣服の礼を事とするのみ。国は政に予らしむべからず、家は蠱に幹らしむべからず。如し聡明才智ありて、古今に識達せば、正に当に君子を輔佐し、其の不足を助くべし。必ず牝鶏の晨に鳴きて、以て禍いを致すこと無かれ。
現代語訳
妻は家の中の食事をつかさどる。ただ酒食と衣服にまつわる礼を務めとするだけである。国においては政治に関与させてはならず、家においては家業の主導を任せてはならない。もし聡明で才知があり、古今の事に通じているなら、まさに夫を補佐して、その足りないところを助けるべきである。けっして雌鶏が朝に鳴いて、禍いを招くようなことがあってはならない。
解説
この段は、六世紀の身分と性別の秩序をそのまま述べたものです。妻を政治や家業の主導から排し、補佐の位置に限る。「牝鶏の晨に鳴く」は『書経』牧誓の句で、女性が主導することを国の乱れの兆しとした古い決まり文句です。現代の規範とは相容れませんし、顔之推自身も次の段で、北方では妻が家を主導する風俗があると認めています。この一段は、顔之推の思想がその時代の制約の中にあったことを示す資料として読むべきものです。同時に、いま自分が当然と思っている職務の線引きのうち、何が機能上の必要で何が時代の慣習にすぎないのかを問う機会にもなります。
この章句が説くこと
婦は中饋を主る牝鶏の晨に鳴く時代の制約役割の線引き秩序名分
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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