顔氏家訓 / 治家
裴子野有疎親故屬飢寒不能自濟者、皆收養之、家素清貧、時逢水旱、二石米爲薄粥、僅得徧焉、躬自同之、常無厭色。
新字:裴子野有疎親故属飢寒不能自済者、皆収養之、家素清貧、時逢水旱、二石米為薄粥、僅得遍焉、躬自同之、常無厭色。
書き下し
裴子野に疏親故属の飢寒して自ら済う能わざる者有れば、皆な之を収養す。家素より清貧にして、時に水旱に逢う。二石の米もて薄粥を為り、僅かに徧きを得たり。躬ら自ら之を同じくし、常に厭う色無し。
現代語訳
裴子野は、遠縁の親戚や古い知り合いで、飢えと寒さに苦しみ自力で立ち行かない者がいると、みな引き取って養った。家はもとより清らかに貧しく、そのうえ水害や旱害に見舞われた。二石の米で薄い粥を作り、かろうじて全員に行き渡らせた。自分も同じものを食べ、いつも嫌な顔をしなかった。
解説
次の二段で登場する貪欲な二人と対比するために置かれた例です。裴子野が特別なのは、施したことではなく「躬ら自ら之を同じくし」——自分も同じ薄粥を食べたところにあります。分け与える側が別の物を食べていれば、それは施しであって共有ではありません。しかも家は元から貧しく、その年は災害に遭っている。余っているから分けたのではなく、足りない中で同じものを食べた。組織が苦しいとき、経営者が同じ痛みを負っているかどうかを、人は必ず見ています。減俸の率ではなく、同じ物を食べているかどうかという水準で見られています。
この章句が説くこと
裴子野二石の米躬ら自ら之を同じくす同じ痛み率先垂範
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