顔氏家訓 / 治家
笞怒廢於家、則豎子之過立見、刑罰不中、則民無所措手足。治家之寬猛、亦猶國焉。
新字:笞怒廃於家、則豎子之過立見、刑罰不中、則民無所措手足。治家之寛猛、亦猶国焉。
書き下し
笞怒家に廃すれば、則ち豎子の過ち立ちどころに見る。刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所無し。家を治むるの寛猛は、亦た猶お国のごときなり。
現代語訳
叱ることと罰することが家から失われれば、子どもの過ちはたちまち現れる。逆に刑罰が的を外していれば、人々は手足の置きどころがなくなる。家を治めるときの寛と厳の按配は、国を治めるのとまったく同じである。
解説
わずか三十八字で、家政と統治を同じ問題として並べました。罰が無ければ緩み、罰が的外れなら萎縮する。どちらも同じ失敗として扱われています。「刑罰中らず」とは、重すぎることではなく、当たるべきところに当たっていないという意味です。関係のない人が咎められたり、同じ過ちが人によって咎められたりされなかったりすると、人は何をしていいか分からなくなる。管理の要点は厳しさの強度ではなく、予測可能性です。何をすれば咎められるかが明確なら、多少厳しくても人は動けます。曖昧なまま強度だけ上げると、手足の置きどころが無くなります。
この章句が説くこと
笞怒家に廃す刑罰中らず寛猛予測可能性統治
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