顔氏家訓 / 後娶
《後漢書》曰:「安帝時、汝南薛包孟嘗、好學篤行、喪母、以至孝聞。及父娶後妻而憎包、分出之。包日夜號泣、不能去、至被毆杖。不得已、廬於舍外、旦入而洒埽。父怒、又逐之、乃廬於里門、昏晨不廢。積歲餘、父母慚而還之。後行六年服、喪過乎哀。
新字:《後漢書》曰:「安帝時、汝南薛包孟嘗、好学篤行、喪母、以至孝聞。及父娶後妻而憎包、分出之。包日夜号泣、不能去、至被殴杖。不得已、廬於舎外、旦入而洒埽。父怒、又逐之、乃廬於里門、昏晨不廃。積歳余、父母慚而還之。後行六年服、喪過乎哀。
書き下し
《後漢書》に曰く、「安帝の時、汝南の薛包孟嘗は、学を好み行いを篤くし、母を喪いて、至孝を以て聞こゆ。父の後妻を娶りて包を憎むに及び、分かちて之を出す。包日夜号泣して、去る能わず、毆杖せらるるに至る。已むを得ずして、舎外に廬し、旦に入りて洒掃す。父怒りて、又た之を逐う。乃ち里門に廬し、昏晨に廃せず。歳余を積み、父母慚じて之を還す。後に六年の服を行い、喪は哀に過ぐ」と。
現代語訳
『後漢書』にいう。安帝の時代、汝南の薛包、字は孟嘗は、学問を好み行いを篤くし、母を亡くしてからは至って孝行だと評判になった。父が後妻を迎えて薛包を憎むようになると、家から分けて追い出した。薛包は日夜泣き叫んで立ち去ることができず、ついに打ち叩かれるに至った。やむを得ず家の外に小屋を建てて住み、朝になると家に入って掃除をした。父は怒って、また追い出した。そこで村の門のところに小屋を建て、朝夕の勤めを欠かさなかった。一年あまりが過ぎて、父母は恥じて彼を家に戻した。後に六年の喪に服し、その悲しみようは度を越えていた。
解説
追い出されても去らず、打たれても朝の掃除に通い、また追われれば村の門まで下がって、そこから朝夕の勤めを続けた。一年あまりで、父母のほうが恥じて折れました。ここにあるのは忍耐ではなく、距離の取り方の技術です。薛包は家の中に居座って争わず、外へ出て、しかし関係は切らなかった。相手の面子を潰さずに、自分の姿勢だけを見せ続ける。感情的な対立の場で、正面から言い返すことも、完全に離れることもせず、位置を一段下げて関わり続ける——この選択肢を持っているかどうかで、修復できる関係の幅が変わります。
この章句が説くこと
薛包里門に廬す昏晨に廃せず距離の取り方説得術
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