顔氏家訓 / 風操
魏世王修母以社日亡、來歲社日、修感念哀甚、鄰里聞之、爲之罷社。今二親喪亡、偶値伏臘分至之節、及月小晦後、忌之外、所經此日、猶應感慕、異於餘辰、不預飲燕、聞聲樂及行遊也。
新字:魏世王修母以社日亡、来歳社日、修感念哀甚、鄰里聞之、為之罷社。今二親喪亡、偶値伏臘分至之節、及月小晦後、忌之外、所経此日、猶応感慕、異於余辰、不預飲燕、聞声楽及行遊也。
書き下し
魏世の王修は、母社日を以て亡ず。来歳の社日、修感念して哀しむこと甚だし。隣里之を聞き、之が為に社を罷む。今二親喪亡し、偶ま伏臘分至の節、及び月小晦後に値わば、忌の外、此の日を経る所、猶お応に感慕すべく、余辰に異なる。飲燕に預らず、声楽を聞き及び行遊せざるなり。
現代語訳
魏の時代の王修は、母が社日に亡くなった。翌年の社日に、修は思い慕って深く悲しんだ。近隣の人々はそれを聞き、彼のために社日の祭りを取りやめた。今、両親を亡くしていて、たまたま伏日や臘日、二分二至の節句、あるいは小の月の晦日の後にあたるときは、忌日以外でも、この日を過ごすにあたってはやはり慕う気持ちが起こり、他の日とは違う。宴会に加わらず、音楽を聞かず、遊びに出かけないのである。
解説
近隣の人々が、王修一人のために村の祭りを取りやめた。これが顔之推の挙げる理想の反応です。悲しむ本人が耐えるのではなく、周囲が場のほうを動かした。前段で形式の空洞化を批判した直後にこれを置くことで、礼の本来の姿を示しています。制度に従って本人が我慢するのではなく、周りが状況を変える。組織でも同じ選択肢があります。誰かが困難な時期にあるとき、本人に頑張らせるのではなく、行事や締切のほうを動かせないかを考える。それができる集団は、ルールを守っている集団より強い。祭りを一年やめるほうが、形式的な弔意より確実に伝わります。
この章句が説くこと
王修社日隣里社を罷む本人ではなく場を動かす孝
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