顔氏家訓 / 兄弟
娣姒之比兄弟、則疏薄矣、今使疏薄之人、而節量親厚之恩、猶方底而圓蓋、必不合矣。惟友悌深至、不爲旁人之所移者、免夫!
新字:娣姒之比兄弟、則疏薄矣、今使疏薄之人、而節量親厚之恩、猶方底而円蓋、必不合矣。惟友悌深至、不為旁人之所移者、免夫!
書き下し
娣姒の兄弟に比するや、則ち疏薄なり。今疏薄の人をして、親厚の恩を節量せしむるは、猶お方底にして円蓋のごとく、必ず合わざらん。惟だ友悌深く至りて、旁人の移す所と為らざる者のみ、免れんかな。
現代語訳
兄弟の妻同士の間柄は、兄弟そのものに比べれば、うすく遠い。その、うすく遠い立場の人に、兄弟の濃い情愛の量を測らせるのは、四角い底に丸い蓋をかぶせるようなもので、けっして合うはずがない。ただ、兄弟の情がきわめて深く、そばの者に動かされない者だけが、この禍いを免れられるだろう。
解説
兄弟仲を壊すのは兄弟本人ではなく、後から加わった人だ、という観察です。四角い底に丸い蓋、という比喩が的確です。悪意の話ではありません。関係の深さが違う人に、深い側の基準で判断させようとすること自体に無理がある。血縁のない側から見れば当然の言い分が、血縁の側には裏切りに見える。同族企業でよく壊れるのがここです。創業家の兄弟は理屈を越えて分かり合えるが、その配偶者や、外から来た役員には同じ前提がない。顔之推の処方は「旁人の移す所と為らざる」——外からの評価に自分たちの関係を委ねないこと。関係の当事者が、当事者だけで持てる基準を保っているかどうかです。
この章句が説くこと
方底にして円蓋娣姒旁人の移す所と為らず同族の関係人間関係
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