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顔氏家訓 / 教子

凡人不能教子女者、亦非欲陷其罪惡、但重於訶怒。傷其顏色、不忍楚撻慘其肌膚耳。當以疾病爲諭、安得不用湯藥鍼艾救之哉?又宜思勤督訓者、可願苛虐於骨肉乎?誠不得已也。

新字:凡人不能教子女者、亦非欲陥其罪悪、但重於訶怒。傷其顏色、不忍楚撻惨其肌膚耳。当以疾病為諭、安得不用湯薬鍼艾救之哉?又宜思勤督訓者、可願苛虐於骨肉乎?誠不得已也。

書き下し

凡そ人の子女を教うる能わざる者は、亦た其の罪悪に陥れんと欲するに非ず、但だ訶怒を重んじて其の顔色を傷つけ、楚撻して其の肌膚を惨ましむるに忍びざるのみ。当に疾病を以て諭と為すべし。安んぞ湯薬鍼艾を用いて之を救わざるを得んや。又た宜しく思うべし、勤めて督訓する者は、豈に骨肉に苛虐せんことを願わんや。誠に已むを得ざればなり。

現代語訳

子を教えられない親は、わが子を罪悪に陥れようとしているわけではない。ただ叱って相手の顔色を曇らせるのが重く感じられ、鞭打って肌を痛めさせるのに耐えられないだけである。ここは病気にたとえて考えるべきだ。病んだ子に薬や鍼灸を使わずにいられようか。また、こうも思うべきである。厳しく監督し訓練する者が、どうして自分の血肉に対して苛酷であることを望むだろうか。まことにやむを得ないからそうするのだ。

解説

叱れない理由を、顔之推は悪意ではなく「忍びなさ」に見ています。相手の顔が曇るのが辛い、痛がる姿を見たくない——動機は優しさです。だからこそ厄介だと。彼が持ち出す物差しは医療です。子が病んだとき、薬が苦いから、鍼が痛いからといって手当てをやめる親はいない。教育も同じ手当てだと言い切ることで、「叱らない優しさ」を治療放棄と並べました。管理職が指摘を先送りする理由も、たいていは嫌われたくないという善意寄りの感情です。しかし放置された問題は、本人の評価と機会を確実に削っていきます。厳しさが必要なのではなく、やむを得ないのだ、という言い方に救いがあります。

この章句が説くこと

疾病を以て諭と為す湯薬鍼艾訶怒を重んず指摘の先送り教育

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