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顔氏家訓 / 教子

吾見世間、無教而有愛、每不能然、飲食運爲、恣其所欲、宜誡翻獎、應訶反笑、至有識知、謂法當爾。驕慢已習、方復制之、捶撻至死而無威、忿怒日隆而增怨、逮于成長、終爲敗德。孔子云「少成若天性、習慣如自然」是也。俗諺曰:「教婦初來、教兒嬰孩。」誠哉斯語!

新字:吾見世間、無教而有愛、毎不能然、飲食運為、恣其所欲、宜誡翻獎、応訶反笑、至有識知、謂法当爾。驕慢已習、方復制之、捶撻至死而無威、忿怒日隆而增怨、逮于成長、終為敗徳。孔子云「少成若天性、習慣如自然」是也。俗諺曰:「教婦初来、教児嬰孩。」誠哉斯語!

書き下し

吾世間を見るに、教え無くして愛有り、毎に然る能わず。飲食運為、其の欲する所を恣にし、宜しく誡むべきに翻って奨め、応に訶すべきに反って笑う。識知有るに至り、法は当に爾るべしと謂う。驕慢已に習い、方めて復た之を制すれば、捶撻して死に至るとも威無く、忿怒日に隆んにして怨みを増し、成長するに逮んで、終に敗徳と為る。孔子云う「少くして成るは天性の若く、習慣は自然の如し」とは是なり。俗諺に曰く「婦を教うるは初めて来たるとき、児を教うるは嬰孩のとき」と。誠なるかな斯の語や。

現代語訳

世間を見ていると、教えることなく愛だけがあり、どうしてもそうならない家が多い。飲み食いも振る舞いも、子の欲しいままにさせ、戒めるべきところで逆に褒め、叱るべきところで笑ってしまう。子に物心がつく頃には、そういうものだと思い込んでいる。驕り高ぶりが身についてから初めて抑えにかかっても、鞭で打って死なせるほどにしても威は立たず、怒りが日に日に募って恨みを増すばかりで、大人になる頃には結局は徳を損なった人間になる。孔子が「幼い頃に身についたものは生まれつきのようであり、習慣は本性のようになる」と言ったのはこのことだ。ことわざに「嫁を教えるのは嫁いできたとき、子を教えるのは赤子のとき」というのも、まことにそのとおりである。

解説

「宜しく誡むべきに翻って奨め、応に訶すべきに反って笑う」——この一句が、甘やかしの正体を突いています。愛がないのではなく、教えのない愛がある。しかも問題は、その場の甘さより、子がそれを標準だと学習してしまうことです。「法は当に爾るべしと謂う」——これが当たり前だと思い込む。あとから抑えにかかっても、基準そのものが違うので、罰は威にならず恨みになるだけです。新しく入った人に最初の一か月で何を許すかが、その後の何年かを決めます。後から締めるのは、初めから締めるよりはるかに高くつき、しかもたいてい失敗します。

この章句が説くこと

教え無くして愛有り習慣は自然の如し児を教うるは嬰孩のとき甘やかし教育

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