顔氏家訓 / 教子
凡庶縱不能爾、當及嬰稚、識人顏色、知人喜怒、便加教誨、使爲則爲、使止則止。比及數歲、可省笞罸。父母威嚴而有慈、則子女畏慎而生孝矣。
新字:凡庶縦不能爾、当及嬰稚、識人顏色、知人喜怒、便加教誨、使為則為、使止則止。比及数歳、可省笞罸。父母威厳而有慈、則子女畏慎而生孝矣。
書き下し
凡庶は縦い爾る能わずとも、当に嬰稚に及び、人の顔色を識り、人の喜怒を知るに、便ち教誨を加え、為さしめんとすれば則ち為し、止めしめんとすれば則ち止むべし。数歳に比び及べば、笞罰を省くべし。父母威厳にして慈有れば、則ち子女畏れ慎みて孝を生ず。
現代語訳
庶民はそこまではできないとしても、まだ幼いうちに、相手の顔色を読み取り喜怒を感じ分けられるようになったら、すぐに教え諭すべきである。やらせようとすればやり、やめさせようとすればやめる、という状態にしておく。そうして数歳になる頃には、鞭で打つ必要はなくなっている。父母に威厳があって、しかも慈しみがあれば、子は恐れ慎みながら孝の心を持つようになる。
解説
胎教は無理でも、これならできる、と顔之推は現実に降ろします。基準は年齢ではなく能力です。相手が人の顔色を読み、喜怒を感じ分けられるようになった時点が開始点。そこで「やらせればやる、やめさせればやめる」という関係を作っておけば、後で罰に頼らずに済む。罰が要るのは、初期の教えを怠った代償だという理屈です。結びの「威厳にして慈有り」は、序致篇の兄の「仁ありて威なし」と対になっています。威だけでも慈だけでも足りず、両方が同じ人の中にあってはじめて、恐れが反発ではなく孝に変わる。厳しさが愛情の証だと相手に伝わるかどうかが分かれ目です。
この章句が説くこと
笞罰を省く威厳にして慈有り畏れ慎みて孝を生ず早期教育教育
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