顔氏家訓 / 教子
或問曰:「陳亢喜聞君子之遠其子、何謂也?」對曰:「有是也。蓋君子之不親教其子也、《詩》有諷刺之辭、《禮》有嫌疑之誡、《書》有悖亂之事、《春秋》有衺僻之譏、《易》有備物之象:皆非父子之可通言、故不親授耳。」
新字:或問曰:「陳亢喜聞君子之遠其子、何謂也?」対曰:「有是也。蓋君子之不親教其子也、《詩》有諷刺之辞、《礼》有嫌疑之誡、《書》有悖乱之事、《春秋》有衺僻之譏、《易》有備物之象:皆非父子之可通言、故不親授耳。」
書き下し
或るひと問いて曰く、「陳亢、君子の其の子を遠ざくるを聞きて喜ぶとは、何の謂ぞや」と。対えて曰く、「是れ有るなり。蓋し君子の親しく其の子を教えざるは、《詩》に諷刺の辞有り、《礼》に嫌疑の誡め有り、《書》に悖乱の事有り、《春秋》に衺僻の譏り有り、《易》に備物の象有り、皆な父子の通言すべきに非ず。故に親授せざるのみ」と。
現代語訳
ある人が問うた。「陳亢が、君子は自分の子を遠ざけると聞いて喜んだ、というのはどういう意味ですか」。答えて言った。「そういうことはある。思うに君子が自分の子を直接教えないのは、『詩経』には遠回しの風刺の言葉があり、『礼記』には男女の疑いを避ける戒めがあり、『書経』には道に背いた乱の事例があり、『春秋』には邪で偏った行いへの非難があり、『易経』には万物の交わりを象った卦がある。どれも父と子のあいだで口にできるものではない。だから自分で直接は授けないのだ」。
解説
親が子を直接教えない理由を、顔之推は経書の中身から説明します。古典には風刺、男女の礼、簒奪、邪僻、生殖の象——親子で口に出しにくい事柄が並ぶ。だから第三者に委ねる、というのです。これは親の怠慢の言い訳ではなく、役割分担の指定です。教えの内容には、関係が近いほど扱いにくくなる領域がある。事業承継でも同じことが起きます。親が子に、経営者が後継者に、直接は言いにくいこと——過去の失敗、人の評価、金の話——があります。そこを埋めるために外部の師や第三者を置くのは、逃げではなく設計です。何を自分で教え、何を人に頼むかを分けておくこと。
この章句が説くこと
君子は其の子を親しく教えず陳亢父子の通言すべきに非ず第三者に委ねる
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