師導古典を学びたいすべての人に

顔氏家訓 / 序致

二十已後、大過稀焉、每常心共口敵、性與情競、夜覺曉非、今悔昨失、自憐無教、以至於斯。追思平昔之指、銘肌鏤骨、非徒古書之誡、經目過耳也。故留此二十篇、以爲汝曹後車耳。

新字:二十已後、大過稀焉、毎常心共口敵、性与情競、夜覚暁非、今悔昨失、自憐無教、以至於斯。追思平昔之指、銘肌鏤骨、非徒古書之誡、経目過耳也。故留此二十篇、以為汝曹後車耳。

書き下し

二十已後、大過稀なり。毎に常に心と口と敵し、性と情と競い、夜に暁の非を覚り、今に昨の失を悔ゆ。自ら教え無きを憐れみ、以て斯に至る。平昔の指を追思するに、肌に銘し骨に鏤む。徒だ古書の誡めの、目を経耳を過ぐるのみに非ざるなり。故に此の二十篇を留め、以て汝曹の後車と為すのみ。

現代語訳

二十歳を過ぎてからは、大きな過ちは少なくなった。それでもいつも、心と口が敵対し、本性と感情がせめぎ合い、夜になって朝の間違いに気づき、今日になって昨日の失敗を悔いた。自分に教えがなかったことを憐れみ、こんなありさまになったのだと思う。昔受けた教えの筋道を思い返すと、肌に刻み骨に彫り込まれている。古書の戒めが目を通り耳を通り過ぎるだけなのとは、まるで違う。だからこの二十篇を残して、お前たちにとっての「前車の轍」としてもらうのだ。

解説

序致篇の結びです。顔之推は自分を成功者としてではなく、直しきれなかった人間として差し出しました。「肌に銘し骨に鏤む」は、幼い日に身内から受けた教えだけが体に残るという意味です。書物の戒めは目と耳を通り過ぎるが、家の中で受けたものは骨に残る——だからこそ家訓を書く、という論理がここで完結します。後車とは、前の車がひっくり返った轍を見て避ける後続の車のこと。彼は自分を模範ではなく失敗例として置きました。後進に何かを残そうとする人にとって、これは有効な型です。成功談より、直せなかったことの記録のほうが伝わります。

この章句が説くこと

肌に銘し骨に鏤む汝曹の後車二十篇失敗の記録

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる