顔氏家訓 / 序致
夫同言而信、信其所親、同命而行、行其所服。禁童子之暴謔、則師友之誡不如傅婢之指揮、止凡人之鬬鬩、則堯、舜之道不如寡妻之誨諭。吾望此書爲汝曹之所信、猶賢於傅婢寡妻耳。
新字:夫同言而信、信其所親、同命而行、行其所服。禁童子之暴謔、則師友之誡不如傅婢之指揮、止凡人之鬬鬩、則堯、舜之道不如寡妻之誨諭。吾望此書為汝曹之所信、猶賢於傅婢寡妻耳。
書き下し
夫れ同じ言にして信ぜらるるは、其の親しむ所を信ずればなり。同じ命にして行わるるは、其の服する所を行えばなり。童子の暴謔を禁ずるには、則ち師友の誡めも傅婢の指揮に如かず。凡人の鬬鬩を止むるには、則ち堯・舜の道も寡妻の誨諭に如かず。吾は此の書の汝曹の信ずる所と為らんことを望む。猶お傅婢寡妻に賢れるのみ。
現代語訳
同じ言葉でも信じてもらえるのは、その人が親しんでいる相手が言うからだ。同じ命令でも実行されるのは、その人が心服している相手が出すからだ。子どもの乱暴なふざけを止めるには、師や友の戒めよりも、世話をしてきた乳母のひと言のほうが効く。ふつうの人の争いを止めるには、堯舜の道を説くよりも、妻の諭しのほうが効く。私はこの書が、お前たちが信じるものであってほしいと願う。乳母や妻の言葉よりは、いくらかましだろうから。
解説
同じ内容でも、誰が言うかで通り方が変わる。この当たり前を、顔之推は家訓を書く根拠に据えました。乳母のひと言が師の戒めに勝ち、妻の諭しが堯舜の道に勝つ。正しさの序列と、効きめの序列は別だという指摘です。だから彼は、天下の規範ではなく親の言葉として書きました。組織でも同じことが起きます。外部講師の正論より現場の先輩のひと言が効き、社長の訓示より直属の上司の態度が効く。誰から言われたいかを無視して内容だけを磨いても、言葉は届きません。自分がその人にとって「親しむ所」「服する所」になっているかどうかが先です。
この章句が説くこと
同じ言にして信ぜらる傅婢の指揮寡妻の誨諭誰が言うか率先垂範信頼
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