顔氏家訓 / 序致
夫聖賢之書、教人誠孝、慎言檢迹、立身揚名、亦已備矣。魏、晉已來、所著諸子、理重事複、遞相模斅、猶屋下架屋、牀上施牀耳。吾今所以復爲此者、非敢軌物範世也、業以整齊門內、提撕子孫。
新字:夫聖賢之書、教人誠孝、慎言検迹、立身揚名、亦已備矣。魏、晉已来、所著諸子、理重事複、逓相模斅、猶屋下架屋、牀上施牀耳。吾今所以復為此者、非敢軌物範世也、業以整斉門内、提撕子孫。
書き下し
夫れ聖賢の書は、人に誠孝を教え、言を慎み迹を検し、身を立て名を揚ぐること、亦た已に備われり。魏・晋已来、著す所の諸子、理重なり事複り、逓いに相い模斅す。猶お屋下に屋を架し、牀上に牀を施すがごときのみ。吾が今復た此れを為す所以の者は、敢えて物に軌り世を範とするに非ざるなり。ただ以て門内を整斉し、子孫を提撕せんとすればなり。
現代語訳
聖人賢人の書は、人に誠と孝を教え、言葉を慎み行いを検め、身を立てて名を揚げることを、すでに十分に説き尽くしている。魏や晋の時代から後に書かれた思想家たちの書は、理屈が重なり事例が繰り返され、互いに真似をし合っていて、屋根の下にもう一つ屋根を架け、寝台の上にもう一つ寝台を置くようなものだ。私がいまあらためてこの書を書くのは、世の規範を打ち立てようというのではない。ただ我が家の内を整え、子孫を導き励ますためである。
解説
顔氏家訓の第一声は、自分の本の値打ちを下げることから始まります。聖賢の書にもう書いてある、後世の書はその焼き直しにすぎない、と言い切ったうえで、それでも自分が筆を執る理由を「門内を整えるため」の一点に絞りました。天下に向けて書いたのではなく、我が子と孫に向けて書いた——この限定が、かえってこの書を千五百年読ませてきました。一般論として正しいことと、自分の家で実際に効くことは違います。あなたが部下や後継者に何かを伝えようとするとき、書店に並ぶ本にすでに書いてあることを、なぜ自分の言葉で言い直す必要があるのか。顔之推の答えは次の段に出てきます。
この章句が説くこと
顔氏家訓屋下に屋を架す門内を整斉す家訓を書く理由率先垂範
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