顔氏家訓 / 序致
年始九歲、便丁荼蓼、家塗離散、百口索然。慈兄鞠養、苦辛備至、有仁無威、導示不切。雖讀《禮傳》、微愛屬文、頗爲凡人之所陶染、肆欲輕言、不脩邊幅。年十八九、少知砥礪、習若自然、卒難洗蕩。
新字:年始九歳、便丁荼蓼、家塗離散、百口索然。慈兄鞠養、苦辛備至、有仁無威、導示不切。雖読《礼伝》、微愛属文、頗為凡人之所陶染、肆欲軽言、不脩辺幅。年十八九、少知砥礪、習若自然、卒難洗蕩。
書き下し
年始めて九歳、便ち荼蓼に丁り、家塗離散し、百口索然たり。慈兄鞠養し、苦辛備さに至る。仁ありて威なく、導示切ならず。《礼伝》を読むと雖も、微かに属文を愛せしも、頗る凡人の陶染する所と為り、欲を肆にして言を軽んじ、辺幅を脩めず。年十八九にして、少しく砥礪を知るも、習い自然の若く、卒に洗蕩し難し。
現代語訳
九歳のとき父を失う苦しみに遭い、家は傾いて離散し、大勢いた身内も寂しくなった。心優しい兄が私を養い育て、苦労のかぎりを尽くしてくれた。だが兄には慈しみはあっても威厳がなく、教え導き方が切実さを欠いた。私は『礼記』やその伝を読み、文章を書くことを少しは好んだものの、平凡な人々に染まってしまい、欲しいままに振る舞い言葉を軽々しく吐き、身なりも取り繕わなかった。十八、九になってようやく自分を磨くことを知ったが、身についた習慣は生まれつきのようになっていて、ついに洗い落とすのが難しかった。
解説
「仁ありて威なし」——この五字が、顔氏家訓全体の出発点です。兄は優しく、苦労を惜しまず育ててくれた。それでも足りなかった、と顔之推は言います。愛情の量ではなく、正すときに正す威が欠けていた。その結果、十八、九で気づいたときには、悪い習慣はもう生まれつきのようになっていて、生涯かかっても洗い落とせなかった。彼が子育てを「早く」「厳しく」と説くのは、この自分の失敗の記憶からです。人を育てる場面で優しさに逃げるとき、私たちは相手の将来から時間を奪っています。手遅れになる境目は、本人が自覚するよりずっと早く来ます。
この章句が説くこと
仁ありて威なし導示切ならず習い自然の若し手遅れ
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