顔氏家訓 / 勉學
義陽朱詹、世居江陵、後出揚都、好學、家貧無資、累日不爨、乃時吞紙以實腹。寒無氈被、抱犬而臥。犬亦饑虛、起行盗食、呼之不至、哀聲動鄰、猶不廢業、卒成學士、官至鎮南錄事參軍、為孝元所禮。此乃不可為之事、亦是勤學之一人。東莞臧逢世、年二十餘、欲讀班固漢書、苦假借不久、乃就姊夫劉緩乞丐客刺書翰紙末、手寫一本、軍府服其志尚、卒以漢書聞。
新字:義陽朱詹、世居江陵、後出揚都、好学、家貧無資、累日不爨、乃時呑紙以実腹。寒無氈被、抱犬而臥。犬亦饑虚、起行盗食、呼之不至、哀声動鄰、猶不廃業、卒成学士、官至鎮南録事参軍、為孝元所礼。此乃不可為之事、亦是勤学之一人。東莞臧逢世、年二十余、欲読班固漢書、苦仮借不久、乃就姊夫劉緩乞丐客刺書翰紙末、手写一本、軍府服其志尚、卒以漢書聞。
書き下し
義陽の朱詹は、世々江陵に居り、後に揚都に出づ。学を好むも、家貧しく資無し。日を累ねて爨せず、乃ち時に紙を吞みて以て腹に実つ。寒くして氈被無く、犬を抱きて臥す。犬も亦た饑虚し、起ちて行きて食を盗む。之を呼べども至らず、哀声隣を動かす。猶お業を廃せず、卒に学士と成り、官は鎮南録事参軍に至り、孝元の礼する所と為る。此れ乃ち為すべからざるの事なるも、亦た是れ勤学の一人なり。東莞の臧逢世は、年二十余、班固の漢書を読まんと欲す。假借の久しからざるに苦しみ、乃ち姊夫の劉緩に就きて客刺書翰の紙末を乞丐し、手ずから一本を写す。軍府其の志尚に服し、卒に漢書を以て聞こゆ。
現代語訳
義陽の朱詹は、代々江陵に住み、後に揚都に出た。学問を好んだが、家は貧しく元手がなかった。何日も炊事をせず、ときには紙を飲み込んで腹を満たした。寒くても敷物がなく、犬を抱いて寝た。犬も飢えていて、起き出して食べ物を盗みに行く。呼んでも来ず、悲しげな声が隣近所に響いた。それでも学業をやめず、ついに学士となり、官は鎮南録事参軍に至り、元帝に礼遇された。これはとても真似できることではないが、これも勤学の一人である。東莞の臧逢世は、二十歳あまりで班固の『漢書』を読もうとした。借りていられる期間の短さに苦しみ、そこで姉の夫である劉緩のところで、名刺や手紙の紙の余白をもらい集め、自分の手で一部を書き写した。軍府の人々はその志に感服し、ついに『漢書』の学者として名を知られた。
解説
この章句が説くこと
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