顔氏家訓 / 勉學
梁元帝嘗為吾說:「昔在會稽、年始十二、便已好學。時又患疥、手不得拳、膝不得屈。閒齋張葛幃避蠅獨坐、銀甌貯山陰甜酒、時復進之、以自寬痛。率意自讀史書、一日二十卷、既未師受、或不識一字、或不解一語、要自重之、不知厭倦。」帝子之尊、童稚之逸、尚能如此、況其庶士、冀以自達者哉?
新字:梁元帝嘗為吾説:「昔在会稽、年始十二、便已好学。時又患疥、手不得拳、膝不得屈。閒斎張葛幃避蠅独坐、銀甌貯山陰甜酒、時復進之、以自寛痛。率意自読史書、一日二十巻、既未師受、或不識一字、或不解一語、要自重之、不知厭倦。」帝子之尊、童稚之逸、尚能如此、況其庶士、冀以自達者哉?
書き下し
梁の元帝嘗て吾の為に説く、「昔会稽に在り、年始めて十二、便ち已に学を好む。時に又た疥を患い、手は拳を得ず、膝は屈するを得ず。閑斎に葛幃を張り蠅を避けて独り坐す。銀甌に山陰の甜酒を貯え、時に復た之を進め、以て自ら痛みを寛くす。率意に自ら史書を読むこと、一日に二十巻。既に未だ師受せず、或いは一字を識らず、或いは一語を解せず。要ず自ら之を重んじ、厭倦を知らず」と。帝子の尊、童稚の逸なるも、尚お能く此くの如し。況んや其の庶士の、冀いて以て自ら達せんとする者をや。
現代語訳
梁の元帝がかつて私に語った。「昔、会稽にいたとき、年はやっと十二だったが、もう学問を好んでいた。そのとき疥癬を患い、手は握れず、膝は曲げられなかった。静かな部屋に葛の帳を張って蠅を避け、独りで座っていた。銀の椀に山陰の甘酒を蓄え、ときどきそれを飲んで痛みをやわらげた。思うままに自分で史書を読み、一日に二十巻進んだ。まだ師について習っていなかったので、読めない字もあり、分からない語もあった。それでも自分でそれを大切にし、飽きることを知らなかった」。皇子という尊い身分で、幼くて気ままにできたのに、これほどであった。まして一般の士で、自力で身を立てようとする者はなおさらである。
解説
十二歳の元帝が、皮膚病で手足も動かせない中、一日に二十巻読んだという回想です。注目したいのは「既に未だ師受せず、或いは一字を識らず、或いは一語を解せず。要ず自ら之を重んじ、厭倦を知らず」——読めない字も分からない語もあったが、それでも進んだ。完全に理解できないまま読み進めることを、自分で許していた。学びが止まる理由の多くは、分からない箇所で立ち止まることです。分からないまま進んで、後で戻る。それを自分に許せるかどうかで、読める量が変わります。
この章句が説くこと
率意に自ら史書を読み一日に二十巻或いは一字を識らず厭倦を知らず止まらずに進む学問
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