顔氏家訓 / 勉學
齊孝昭帝侍婁太后疾、容色憔悴、服膳減損。徐之才為灸兩穴、帝握拳代痛、爪入掌心、血流滿手。后既痊愈、帝尋疾崩、遺詔恨不見山陵之事。其天性至孝如彼、不識忌諱如此、良由無學所為。若見古人之譏欲母早死而悲哭之、則不發此言也。孝為百行之首、猶須學以修飾之、況餘事乎!
新字:斉孝昭帝侍婁太后疾、容色憔悴、服膳減損。徐之才為灸両穴、帝握拳代痛、爪入掌心、血流満手。后既痊愈、帝尋疾崩、遺詔恨不見山陵之事。其天性至孝如彼、不識忌諱如此、良由無学所為。若見古人之譏欲母早死而悲哭之、則不発此言也。孝為百行之首、猶須学以修飾之、況余事乎!
書き下し
斉の孝昭帝、婁太后の疾に侍す。容色憔悴し、服膳減損す。徐之才為に両穴に灸す。帝拳を握りて痛みに代わり、爪掌心に入り、血流れて手に満つ。后既に痊愈し、帝尋いで疾みて崩ず。遺詔に山陵の事を見ざるを恨む。其の天性の至孝なること彼くの如く、忌諱を識らざること此くの如きは、良に学無きの為す所なり。若し古人の母の早く死せんことを欲して之を悲哭するを譏るを見ば、則ち此の言を発せざらん。孝は百行の首と為すも、猶お学びて以て之を修飾するを須つ。況んや余事をや。
現代語訳
北斉の孝昭帝が母の婁太后の病に付き添った。顔色はやつれ、食事も減った。徐之才が二つの経穴に灸をすえた。帝は拳を握って痛みを代わりに受け、爪が掌に食い込んで、血が流れて手に満ちた。太后が回復すると、帝はまもなく病んで崩じた。遺詔に、母の山陵の営みを見られないのが心残りだと述べた。その生まれつきの至孝はあれほどでありながら、忌み言葉を知らないことはこのとおりで、まことに学問がないためである。もし昔の人が、母が早く死ぬことを願って泣くと譏った例を知っていたら、こんな言葉は発しなかっただろう。孝は百の行いの首だが、それでも学問によって整える必要がある。まして他のことはなおさらである。
解説
母の灸の痛みを代わりに引き受けようと拳を握り、爪が掌に食い込んで血が流れた。これ以上ない孝行です。ところが遺詔で「母の葬儀を見られないのが心残りだ」と書いた。母より先に死ぬ自分が、母の葬儀に立ち会えないのを惜しむ——それは母の死を前提にした言葉になります。顔之推はこれを「忌諱を識らず、良に学無きの為す所」と診断します。心情に問題はなく、表現の作法を知らなかっただけ。「孝は百行の首と為すも、猶お学びて以て之を修飾するを須つ」。真情があっても、それを言葉にするには学びが要ります。
この章句が説くこと
帝拳を握りて痛みに代わる忌諱を識らず孝は百行の首なお学びて修飾するを須つ
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