顔氏家訓 / 勉學
鄴平之後、見徙入關。思魯嘗謂吾曰:「朝無禄位、家無積財、當肆筋力、以申供養。每被課篤、勤勞經史、未知為子、可得安乎?」吾命之曰:「子當以養為心、父當以學為教。使汝棄學徇財、豐吾衣食、食之安得甘?衣之安得暖?若務先王之道、紹家世之、藜羹縕褐、我自欲之。」
新字:鄴平之後、見徙入関。思魯嘗謂吾曰:「朝無禄位、家無積財、当肆筋力、以申供養。毎被課篤、勤労経史、未知為子、可得安乎?」吾命之曰:「子当以養為心、父当以学為教。使汝棄学徇財、豊吾衣食、食之安得甘?衣之安得暖?若務先王之道、紹家世之、藜羹縕褐、我自欲之。」
書き下し
鄴平らげられて後、徙されて関に入る。思魯嘗て吾に謂いて曰く、「朝に禄位無く、家に積財無し。当に筋力を肆にし、以て供養を申ぶべし。毎に課篤を被り、経史に勤労す。未だ子と為るを知らず、安きを得べけんや」と。吾之に命じて曰く、「子は当に養を以て心と為すべく、父は当に学を以て教えと為すべし。汝をして学を棄て財に徇わしめ、吾が衣食を豊かにせしむとも、之を食らいて安んぞ甘きを得んや。之を衣て安んぞ暖かきを得んや。若し先王の道を務め、家世を紹がば、藜羹縕褐も、我自ずから之を欲す」と。
現代語訳
鄴が平定された後、私たちは関中へ移された。息子の思魯がかつて私に言った。「朝廷に俸禄も地位もなく、家に蓄えもありません。体を使って働き、養わせていただくべきです。それなのにいつも勉強を課され、経書や史書に骨を折っています。まだ子としての務めを果たしていないのに、心安らかでいられましょうか」。私は彼に言った。「子は養うことを心とすべきであり、父は学ばせることを教えとすべきだ。お前に学問を捨てさせて金を追わせ、私の衣食を豊かにさせたとしても、それを食べてどうして美味しかろうか。それを着てどうして暖かかろうか。もし先王の道に努め、家の代々のものを継いでくれるなら、藜の吸い物と粗末な綿入れでも、私は自分からそれを望む」。
解説
顔氏家訓の中でも最も心を打つ対話の一つです。息子は「働いて父を養いたい、勉強させられている場合ではない」と言い、父は「学問を捨てて稼いだ食事は、食べても美味しくない」と答える。どちらも相手を思っての言い分で、対立しているのに温かい。父の側の論理が重要です。「子は養を以て心と為し、父は学を以て教えと為す」——それぞれの役割を分け、相手の役割を引き受けようとしなくてよいと言っている。目先の困窮を子に肩代わりさせず、自分は親としての務めを続ける。事業承継でも、後継者に今の穴埋めをさせるか、次のための準備をさせるかという選択が必ず来ます。
この章句が説くこと
子は養を以て心と為す父は学を以て教えと為す藜羹縕褐役割の分担
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