顔氏家訓 / 勉學
梁朝皇孫以下、總丱之年、必先入學、觀其志尚、出身已後、便從文史、略無卒業者。冠冕為此者、則有何胤、劉瓛、明山賓、周舍、朱異、周弘正、賀琛、賀革、蕭子政、劉絛等、兼通文史、不徒講說也。洛陽亦聞崔浩、張偉、劉芳、鄴下又見邢子才:此四儒者、雖好經術、亦以才博擅名。如此諸賢、故為上品、以外率多田野閒人、音辭鄙陋、風操蚩拙、相與專固、無所堪能、問一言輒酬數百、責其指歸、或無要會。鄴下諺云:「博士買驢、書券三紙、未有驢字。」使汝以此為師、令人氣塞。
新字:梁朝皇孫以下、総丱之年、必先入学、観其志尚、出身已後、便従文史、略無卒業者。冠冕為此者、則有何胤、劉瓛、明山賓、周舎、朱異、周弘正、賀琛、賀革、蕭子政、劉絛等、兼通文史、不徒講説也。洛陽亦聞崔浩、張偉、劉芳、鄴下又見邢子才:此四儒者、雖好経術、亦以才博擅名。如此諸賢、故為上品、以外率多田野閒人、音辞鄙陋、風操蚩拙、相与専固、無所堪能、問一言輒酬数百、責其指帰、或無要会。鄴下諺云:「博士買驢、書券三紙、未有驢字。」使汝以此為師、令人気塞。
書き下し
梁朝の皇孫以下は、総丱の年に、必ず先ず学に入り、其の志尚を観る。身を出だして已後は、便ち文史に従い、略ぼ業を卒うる者無し。冠冕にして此を為す者は、則ち何胤・劉瓛・明山賓・周舎・朱異・周弘正・賀琛・賀革・蕭子政・劉絛等有り。兼ねて文史に通じ、徒らに講説せざるなり。洛陽にも亦た崔浩・張偉・劉芳を聞き、鄴下にも又た邢子才を見る。此の四儒者は、経術を好むと雖も、亦た才博を以て名を擅にす。此くの如き諸賢は、故に上品と為す。以外は率ね田野の閑人多く、音辞鄙陋、風操蚩拙にして、相い与に専固、堪能する所無し。一言を問えば輒ち数百を酬い、其の指帰を責むれば、或いは要会無し。鄴下の諺に云う、「博士驢を買うに、書券三紙、未だ驢の字有らず」と。汝をして此を以て師と為さしめば、人をして気塞がらしむ。
現代語訳
梁の朝廷では皇孫以下、髪を結う年ごろになると必ずまず学問所に入り、その志を観察した。出仕してからは文史に従い、ほとんど課程を修め終える者はいなかった。名門でこれを修めた者としては、何胤・劉瓛・明山賓・周舎・朱異・周弘正・賀琛・賀革・蕭子政・劉絛らがいる。あわせて文学と史学にも通じ、ただ講義をするだけではなかった。洛陽でも崔浩・張偉・劉芳の名を聞き、鄴でも邢子才を見た。この四人の儒者は、経学を好んだが、才の広さでも名を得ていた。こうした諸賢は上品とされる。それ以外はおおむね田舎の暇人が多く、言葉づかいは粗野、立ち居振る舞いは拙く、互いに頑なで、務まることが何もない。一言尋ねれば数百言で答え、その趣旨を問い詰めると、要点がないこともある。鄴のことわざにいう。「博士が驢馬を買うのに、証文を三枚書いても、まだ驢馬という字が出てこない」。お前たちにこういう人を師とさせたら、息が詰まる思いだ。
解説
この章句が説くこと
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