師導古典を学びたいすべての人に

顔氏家訓 / 文章

若論「詩人之賦麗以則、辭人之賦麗以淫」、但知變之而已、又未知雄自為壯夫何如也?著劇秦美新、妄投於閣、周章怖懾、不達天命、童子之為耳。桓譚以勝老子、葛洪以方仲尼、使人嘆息。此人直以曉算術、解陰陽、故著太玄經、數子為所惑耳、其遺言餘行、孫卿、屈原之不及、安敢望大聖之清塵?且太玄今竟何用乎?不啻覆醬瓿而已。

新字:若論「詩人之賦麗以則、辞人之賦麗以淫」、但知変之而已、又未知雄自為壮夫何如也?著劇秦美新、妄投於閣、周章怖懾、不達天命、童子之為耳。桓譚以勝老子、葛洪以方仲尼、使人嘆息。此人直以暁算術、解陰陽、故著太玄経、数子為所惑耳、其遺言余行、孫卿、屈原之不及、安敢望大聖之清塵?且太玄今竟何用乎?不啻覆醬瓿而已。

書き下し

若し「詩人の賦は麗にして以て則あり、辞人の賦は麗にして以て淫なり」を論ぜば、但だ之を変ずるを知るのみ。又た未だ知らず、雄自ら壮夫と為すこと何如なるかを。劇秦美新を著し、妄りに閣より投じ、周章怖懾して、天命に達せざるは、童子の為なるのみ。桓譚は以て老子に勝るとし、葛洪は以て仲尼に方ぶ。人をして嘆息せしむ。此の人は直だ算術を暁り、陰陽を解するを以て、故に太玄経を著す。数子の惑わさるる所と為るのみ。其の遺言余行は、孫卿・屈原にも及ばず。安んぞ敢えて大聖の清塵を望まんや。且つ太玄は今竟に何の用ぞ。啻に醬瓿を覆うのみならざるなり。

現代語訳

もし「詩人の賦は華やかで法にかない、辞人の賦は華やかで度を越す」という言葉を論じるなら、彼はそれを言い換えただけである。しかもまだ分からない。揚雄自身が一人前の男として何をしたのか。「劇秦美新」を著し、みだりに閣から身を投げ、うろたえ怯えて天命を悟らなかったのは、まさに子どもの所業である。桓譚は彼を老子に勝るとし、葛洪は孔子に並べた。嘆息させられる。この人はただ算術を心得、陰陽を解したので『太玄経』を著した。何人かがそれに惑わされただけである。その遺した言葉と行いは、荀子や屈原にも及ばない。どうして大聖人の足元の塵を望めようか。そのうえ『太玄経』は今いったい何の役に立っているのか。醤の甕の蓋にするだけではない。

解説

揚雄への批判が、言葉から行動へ移ります。「壮夫のすることではない」と言った本人が、新王朝を讃える文を書き、追及を恐れて閣から身を投げた。言葉と行動が一致していない。そして著作『太玄経』も、今は使われていないと切り捨てます。人の言葉を評価するとき、その人が実際に何をしたかと突き合わせる。しかも顔之推は、桓譚や葛洪といった当時の評価も名指しで否定しています。権威ある評価が定着していても、言行の突き合わせを自分で行う。この段は、文章篇全体を通じた「書ける人の危うさ」の総括にもなっています。

この章句が説くこと

詩人の賦は麗にして則あり劇秦美新を著す太玄は今竟に何の用ぞ言行の突き合わせ

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる