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顔氏家訓 / 文章

陳思王武帝誄、遂深永蟄之思、潘岳悼亡賦、乃愴手澤之遺:是方父於蟲、匹婦於考也。蔡邕楊秉碑云:「統大麓之重。」潘尼贈盧景宣詩云:「九五思龍飛。」孫楚王驃騎誄云:「奄忽登遐。」陸機父誄云:「億兆宅心、敦敘百揆。」姊誄云:「俔天之和。」今為此言、則朝廷之罪人也。王粲贈楊德祖詩云:「我君餞之、其樂泄泄。」不可妄施人子、況儲君乎?

新字:陳思王武帝誄、遂深永蟄之思、潘岳悼亡賦、乃愴手沢之遺:是方父於虫、匹婦於考也。蔡邕楊秉碑云:「統大麓之重。」潘尼贈盧景宣詩云:「九五思竜飛。」孫楚王驃騎誄云:「奄忽登遐。」陸機父誄云:「億兆宅心、敦敘百揆。」姊誄云:「俔天之和。」今為此言、則朝廷之罪人也。王粲贈楊徳祖詩云:「我君餞之、其楽泄泄。」不可妄施人子、況儲君乎?

書き下し

陳思王の武帝の誄は、遂に永蟄の思いを深くす。潘岳の悼亡の賦は、乃ち手沢の遺を愴む。是れ父を虫に方え、婦を考に匹するなり。蔡邕の楊秉の碑に云う、「大麓の重きを統ぶ」と。潘尼の盧景宣に贈る詩に云う、「九五は龍飛を思う」と。孫楚の王驃騎の誄に云う、「奄忽として登遐す」と。陸機の父の誄に云う、「億兆心を宅んじ、百揆を敦敘す」と。姊の誄に云う、「天の和に俔たり」と。今此の言を為さば、則ち朝廷の罪人なり。王粲の楊徳祖に贈る詩に云う、「我が君之を餞す。其の楽しみ泄泄たり」と。妄りに人の子に施すべからず。況んや儲君をや。

現代語訳

陳思王曹植の武帝への誄は、「永蟄」という虫の冬眠の語で父の死を悼んだ。潘岳の亡妻を悼む賦は、「手沢の遺」という亡父の遺品を指す語で妻を悼んだ。これは父を虫にたとえ、妻を亡父と同列に置いたことになる。蔡邕の楊秉の碑には「大麓の重きを統べる」とある。潘尼が盧景宣に贈った詩には「九五は龍飛を思う」とある。孫楚の王驃騎への誄には「たちまち崩御した」とある。陸機の父への誄には「億兆の民が心を寄せ、百官を統べ治めた」とある。姉への誄には「天の和にも似ている」とある。今こんな言葉を使えば、朝廷に対する罪人である。王粲が楊修に贈った詩には「我が君がこれを見送る。その楽しみは和やかである」とある。みだりに人の子に用いてよい言葉ではない。まして皇太子に対してはなおさらである。

解説

語の格を誤った例の列挙です。父の死に虫の冬眠の語を使い、妻を悼むのに亡父を指す語を使う。「大麓」「九五」「登遐」「億兆宅心」「俔天」はいずれも天子に用いる語で、臣下に使えば僭越になります。要点は、語には使える対象の範囲がついているということです。意味が合っていても、格が合わなければ使えない。しかも間違えると、単なる誤用ではなく「朝廷の罪人」になる。敬語や呼称、賞賛の語も同じで、褒め方の程度が相手の位置に合っていないと、褒めているつもりで場を壊します。上位者に使う言葉を身内に使い、身内の言葉を上位者に使う。どちらも事故になります。

この章句が説くこと

父を虫に方う大麓九五登遐朝廷の罪人語の格

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