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顔氏家訓 / 文章

學問有利鈍、文章有巧拙。鈍學累功、不妨精熟、拙文研思、終歸蚩鄙。但成學士、自足為人。必乏天才、勿強操筆。吾見世人、至無才思、自謂清華、流布醜拙、亦以眾矣、江南號為詅痴符。近在幷州、有一士族、好為可笑詩賦、誂撇邢、魏諸公、眾共嘲弄、虛相贊說、便擊牛釃酒、招延聲譽。其妻、明鑒婦人也、泣而諫之。此人嘆曰:「才華不為妻子所容、何況行路!」至死不覺。自見之謂明、此誠難也。

新字:学問有利鈍、文章有巧拙。鈍学累功、不妨精熟、拙文研思、終帰蚩鄙。但成学士、自足為人。必乏天才、勿強操筆。吾見世人、至無才思、自謂清華、流布醜拙、亦以眾矣、江南号為詅痴符。近在幷州、有一士族、好為可笑詩賦、誂撇邢、魏諸公、眾共嘲弄、虚相賛説、便擊牛釃酒、招延声誉。其妻、明鑒婦人也、泣而諫之。此人嘆曰:「才華不為妻子所容、何況行路!」至死不覚。自見之謂明、此誠難也。

書き下し

学問に利鈍有り、文章に巧拙有り。鈍学も功を累ぬれば、精熟を妨げず。拙文は思を研ぐも、終に蚩鄙に帰す。但だ学士と成らば、自ら人と為るに足る。必ず天才乏しくば、強いて筆を操ること勿かれ。吾世人を見るに、至って才思無きに、自ら清華と謂い、醜拙を流布する者、亦た以て衆し。江南に号して詅癡符と為す。近ごろ并州に在り、一士族有り、好んで笑うべき詩賦を為り、邢・魏の諸公を誂撇す。衆共に嘲弄し、虚しく相い賛説す。便ち牛を撃ち酒を釃し、声誉を招延す。其の妻は、明鑒の婦人なり。泣きて之を諫む。此の人嘆じて曰く、「才華は妻子の容るる所と為らず。何ぞ況んや行路をや」と。死に至るまで覚らず。自ら之を見るを明と謂う。此れ誠に難きかな。

現代語訳

学問には呑み込みの早い遅いがあり、文章には巧拙がある。呑み込みが遅くても、努力を重ねれば熟達を妨げない。拙い文章は、いくら考えを練っても、結局は見苦しいものに終わる。ただ学者として通用すれば、それで人として十分である。もし天賦の才が乏しいなら、無理に筆を執ってはならない。私は世の人を見てきたが、才も着想もまったくないのに、自分では清らかで華やかだと思い、醜く拙いものを世に流す者が、実に多い。江南ではこれを「詅癡符」と呼ぶ。近ごろ并州にいたとき、ある士族がいて、好んで笑うべき詩賦を作り、邢子才や魏収らをからかった。人々はみなで嘲弄し、うわべだけ褒めそやした。すると牛を屠り酒を漉して、評判を集めようとした。その妻は聡明な女性であった。泣いて夫を諫めた。この人は嘆じて言った。「私の才華は妻子にさえ受け入れられない。まして道行く人はなおさらだ」。死ぬまで気づかなかった。自分自身を見ることを明という。これはまことに難しい。

解説

学問と文章の違いを、まず区別します。学問は遅くても努力で届く。文章は才がなければ届かない。だから才が乏しければ書くなと言う。厳しい線引きですが、続く実例が理由を示します。皆に嘲弄されながら褒め言葉と受け取り、妻の涙の忠告を「妻にさえ理解されない」と解釈した。あらゆる否定的な信号を、自分を支持する材料に変換してしまう。「自ら之を見るを明と謂う。此れ誠に難きかな」——自分を見るのは本当に難しい。周囲の反応を、自分に都合よく読み替えていないかどうかです。

この章句が説くこと

鈍学も功を累ぬれば精熟を妨げず詅癡符才華は妻子の容るる所と為らず自ら之を見るを明と謂う学問継続

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