顔氏家訓 / 勉學
世中書翰、多稱勿勿、相承如此、不知所由、或有妄言此忽忽之殘缺耳。案:說文:「勿者、州里所建之旗也、象其柄及三斿之形、所以趣民事。故忽遽者稱為勿勿。」
新字:世中書翰、多称勿勿、相承如此、不知所由、或有妄言此忽忽之残欠耳。案:説文:「勿者、州里所建之旗也、象其柄及三斿之形、所以趣民事。故忽遽者称為勿勿。」
書き下し
世中の書翰は、多く勿勿と称す。相い承くること此くの如きも、由る所を知らず。或いは妄言する有り、此れ忽忽の残欠なるのみと。案ずるに、説文に、「勿なる者は、州里の建つる所の旗なり。其の柄及び三斿の形に象る。民事に趣く所以なり。故に忽遽なる者は称して勿勿と為す」と。
現代語訳
世間の手紙には、多く「勿勿」と書く。代々そう受け継がれてきたが、その由来を誰も知らない。ある者は勝手に、これは「忽忽」の字が欠けたものにすぎないという。調べてみると『説文』にいう。「勿とは、村里が立てる旗である。その柄と三本の吹き流しの形を象っている。人々を仕事に駆り立てるためのものである。だから急ぎ慌ただしいことを『勿勿』という」。
解説
手紙の末尾に慣習的に書かれる語の由来を解いた一段です。誰も由来を知らないまま使い、ある者は「忽忽の字が欠けたものだ」と勝手に説明していた。『説文』を引くと、村里が人々を仕事に呼び集めるために立てた旗の形で、そこから「急いでいる」という意味になった。慣習的に使っている表現ほど、由来が失われ、もっともらしい後付けの説明が生まれます。日常的に使う挨拶や定型句の由来を一度調べると、後付けの説明を信じていたことに気づくことがあります。勉学篇の一連の考証は、この一点を繰り返しています。
この章句が説くこと
書翰に多く勿勿と称す由る所を知らず勿は州里の建つる所の旗後付けの説明
関連する章句
-
『顔氏家訓』勉學談説し文を製し、古昔を援引するには、必ず眼学を須つ。耳受を信ずる勿かれ。江南の閭里の間、士大夫或いは学問せず、鄙朴を羞じ、道聴塗説して、強いて飾辞を事とす。徴質を呼びて周・鄭と為し、霍乱を謂いて博陸と為し、荆州に上るには必ず陝西と称し、揚都に下るには海郡に去くと言い、食を言えば則ち餬口、銭を道えば則ち孔方、移るを問えば則ち楚丘、婚を論ずれば則ち宴爾、王に及べば則ち仲宣ならざるは無く、劉を語れば則ち公幹ならざるは無し。凡そ一二百件有り、伝えて相い祖述す。尋ね問うも原由を知る莫く、施安すれば時に復た所を失う。
-
『顔氏家訓』勉學夫れ学ぶ者は能く博聞なるを貴ぶなり。郡国山川、官位姓族、衣服飲食、器皿制度、皆な根尋して、其の原本を得んと欲す。文字に至りては、忽せにして懐を経ず。己が身の姓名すら、或いは乖舛多し。縦い誤らざるを得るも、亦た未だ由る所を知らず。近世に人有り子の為に名を制するに、兄弟皆な山の傍らに字を立つるに、而も峙と名づくる者有り。兄弟皆な手の傍らに字を立つるに、而も機と名づくる者有り。兄弟皆な水の傍らに字を立つるに、而も凝と名づくる者有り。名儒碩学すら、此の例甚だ多し。若し吾が鐘の調わざるを知る有らば、一に何ぞ笑うべき。
-
『顔氏家訓』勉學但だ私財入らず、公事夙に辦ずるを知りて、便ち我能く民を治むと云う。己を誠にし物を刑し、轡を執ること組の如く、風を反し火を滅し、鴟を化して鳳と為すの術を知らざるなり。但だ令を抱き律を守り、早く刑し晚く舎くを知りて、便ち我能く獄を平らぐと云う。轅を同じくして罪を観、剣を分かちて財を追い、言を仮りて奸露れ、問わずして情を得るの察を知らざるなり。爰に農商工賈、廝役奴隷、魚を釣り肉を屠り、牛に飯し羊を牧するに及ぶまで、皆な先達有り、師表と為すべし。博く学びて之を求めば、事に利あらざるは無きなり。
-
『顔氏家訓』勉學多く士大夫の農商に渉るを恥じ、工伎を務むるを羞じ、射れば則ち札を穿つ能わず、筆すれば則ち纔かに姓名を記し、飽食酔酒して、忽忽として事無く、此を以て日を銷し、此を以て年を終うるを見る。或いは家世の余緒に因り、一階半級を得れば、便ち自ら足れりと為し、全く修学を忘る。吉凶大事有りて、得失を議論するに及べば、蒙然として口を張り、雲霧に坐するが如し。公私の宴集に、古を談じ詩を賦するに、塞黙し頭を低れ、欠伸するのみ。識有りて傍観すれば、其の代わりに地に入らん。何ぞ数年の勤学を惜しみて、長く一生の愧辱を受けんや。
-
『顔氏家訓』書證案ずるに、法盛の世代は殊に近し。当に是れ耆老の相い伝うるならん。俗間に又た濌濌の語有り。蓋し施さざる所無く、容れざる所無きの意なり。顧野王の玉篇は誤りて黒の傍らに沓と為す。顧は博物なりと雖も、猶お簡憲・孝元の下に出づ。而して二人は皆な重の辺と云う。吾が見る所の数本、並びに黒に作る者無し。重沓は是れ多饒積厚の意なり。黒に従うも更に義旨無し。
-
『顔氏家訓』勉學夫れ文字なる者は、墳籍の根本なり。世の学徒は、多く字を暁らず。五経を読む者は、徐邈を是として許慎を非とし、賦誦を習う者は、褚詮を信じて呂忱を忽せにし、史記を明らかにする者は、徐・鄒を専らにして篆籀を廃し、漢書を学ぶ者は、応・蘇を悦びて蒼・雅を略す。書音は是れ其の枝葉、小学は乃ち其の宗系なるを知らず。服虔・張揖の音義を見るに至れば則ち之を貴び、通俗・広雅を得ては而も屑しとせず。一手の中、向背此くの如し。況んや異代各人をや。