顔氏家訓 / 書證
案:法盛世代殊近、當是耆老相傳、俗間又有濌濌語、蓋無所不施、無所不容之意也。顧野王玉篇誤爲黑傍沓。顧雖博物、猶出簡憲、孝元之下、而二人皆云重邊。吾所見數本、並無作黑者。重沓是多饒積厚之意、從黑更無義旨。
新字:案:法盛世代殊近、当是耆老相伝、俗間又有濌濌語、蓋無所不施、無所不容之意也。顧野王玉篇誤為黒傍沓。顧雖博物、猶出簡憲、孝元之下、而二人皆云重辺。吾所見数本、並無作黒者。重沓是多饒積厚之意、従黒更無義旨。
書き下し
案ずるに、法盛の世代は殊に近し。当に是れ耆老の相い伝うるならん。俗間に又た濌濌の語有り。蓋し施さざる所無く、容れざる所無きの意なり。顧野王の玉篇は誤りて黒の傍らに沓と為す。顧は博物なりと雖も、猶お簡憲・孝元の下に出づ。而して二人は皆な重の辺と云う。吾が見る所の数本、並びに黒に作る者無し。重沓は是れ多饒積厚の意なり。黒に従うも更に義旨無し。
現代語訳
調べてみると、何法盛の時代はごく近い。おそらく老人たちが言い伝えてきたものであろう。世間にはまた「濌濌」という語がある。思うに、行き渡らないところがなく、受け入れないところがないという意味である。顧野王の『玉篇』は誤って黒偏に沓と書いている。顧野王は博識ではあるが、やはり張簡憲や元帝には及ばない。しかも二人はどちらも重の偏だと言っている。私が見た数本の写本にも、黒に作るものはない。重沓とは、多く豊かに積み重なるという意味である。黒に従っても意味の筋道がない。
解説
字の偏を決めるのに、四つの根拠を重ねています。時代が近いので言い伝えが残っているはずだという推定、世間で使われている語の意味、権威ある二人の証言、自分が見た複数の写本。そして最後に決定的な理由を置く。「黒に従うも更に義旨無し」——黒偏では意味が通らない。権威や写本の数だけでなく、意味が通るかどうかを最終的な基準にしています。多数決や権威で決まりそうな場面でも、意味の筋が通るかを最後に確かめる。それが確かめられなければ、多数が支持していても保留すべきです。
この章句が説くこと
濌濌の語施さざる所無く容れざる所無し黒に従うも義旨無し最終的な基準
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