顔氏家訓 / 勉學
談說製文、援引古昔、必須眼學、勿信耳受。江南閭里閒、士大夫或不學問、羞為鄙朴、道聽塗說、強事飾辭:呼征質為周、鄭、謂霍亂為博陸、上荆州必稱陝西、下揚都言去海郡、言食則餬口、道錢則孔方、問移則楚丘、論婚則宴爾、及王則無不仲宣、語劉則無不公幹。凡有一二百件、傳相祖述、尋問莫知原由、施安時復失所。
新字:談説製文、援引古昔、必須眼学、勿信耳受。江南閭里閒、士大夫或不学問、羞為鄙朴、道聴塗説、強事飾辞:呼征質為周、鄭、謂霍乱為博陸、上荆州必称陝西、下揚都言去海郡、言食則餬口、道銭則孔方、問移則楚丘、論婚則宴爾、及王則無不仲宣、語劉則無不公幹。凡有一二百件、伝相祖述、尋問莫知原由、施安時復失所。
書き下し
談説し文を製し、古昔を援引するには、必ず眼学を須つ。耳受を信ずる勿かれ。江南の閭里の間、士大夫或いは学問せず、鄙朴を羞じ、道聴塗説して、強いて飾辞を事とす。徴質を呼びて周・鄭と為し、霍乱を謂いて博陸と為し、荆州に上るには必ず陝西と称し、揚都に下るには海郡に去くと言い、食を言えば則ち餬口、銭を道えば則ち孔方、移るを問えば則ち楚丘、婚を論ずれば則ち宴爾、王に及べば則ち仲宣ならざるは無く、劉を語れば則ち公幹ならざるは無し。凡そ一二百件有り、伝えて相い祖述す。尋ね問うも原由を知る莫く、施安すれば時に復た所を失う。
現代語訳
議論をし文章を作り、古い事柄を引くには、必ず自分の目で確かめた学問によるべきである。耳で聞いただけのものを信じてはならない。江南の町なかでは、士大夫でありながら学問をせず、粗野に見られるのを恥じて、聞きかじりで無理に飾った言葉を使う者がいる。人質のことを「周鄭」と呼び、霍乱を「博陸」と言い、荊州へ上るのを必ず「陝西」と称し、揚都へ下るのを「海郡へ行く」と言い、食事といえば「餬口」、銭といえば「孔方」、引っ越しといえば「楚丘」、婚礼といえば「宴爾」、王姓の人といえば必ず「仲宣」、劉姓の人といえば必ず「公幹」。こういうものが百件も二百件もあり、伝え合って受け売りしている。出どころを尋ねても誰も知らず、使ってみればしばしば場違いになる。
解説
この章句が説くこと
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