顔氏家訓 / 終制
孔子之葬親也、云:「古者、墓而不墳。丘東西南北之人也、不可以弗識也。」於是封之崇四尺。然則君子應世行道、亦有不守墳墓之時、況為事際所逼也!吾今羈旅、身若浮云、竟未知何鄉是吾葬地、唯當氣絕便埋之耳。汝曹宜以傳業揚名為務、不可顧戀朽壤、以取堙没也。
新字:孔子之葬親也、云:「古者、墓而不墳。丘東西南北之人也、不可以弗識也。」於是封之崇四尺。然則君子応世行道、亦有不守墳墓之時、況為事際所逼也!吾今羈旅、身若浮云、竟未知何鄉是吾葬地、唯当気絶便埋之耳。汝曹宜以伝業揚名為務、不可顧恋朽壤、以取堙没也。
書き下し
孔子の親を葬るや、云う、「古者、墓して墳せず。丘は東西南北の人なり。以て識らざるべからざるなり」と。是において之を封じて四尺に崇くす。然らば則ち君子の世に応じ道を行うにも、亦た墳墓を守らざるの時有り。況んや事際の逼る所と為るをや。吾は今羈旅にして、身は浮雲の若し。竟に未だ何の郷か是れ吾が葬地なるかを知らず。唯だ当に気絶えなば便ち之を埋むべきのみ。汝曹は宜しく業を伝え名を揚ぐるを以て務めと為すべし。朽壌を顧恋して、以て堙没を取るべからず。
現代語訳
孔子が親を葬ったとき、こう言った。「昔は墓を作っても土を盛らなかった。しかし丘は東西南北を巡り歩く者である。目印がなくてはならない」。そこで土を盛って四尺の高さにした。そうであれば、君子が世に応じて道を行うにも、墳墓を守っていられない時がある。まして事情に迫られている場合はなおさらである。私は今、旅の身であり、体は浮雲のようである。結局どの土地が自分の葬られる地なのかも分からない。ただ息が絶えたら、そのまま埋めればよい。お前たちは家業を伝え名を揚げることを務めとすべきである。朽ちた土くれを恋しがって、それによって埋もれてしまってはならない。
解説
顔氏家訓の最後の段です。孔子でさえ、各地を巡り歩く身だったので親の墓に目印を必要とした。君子が道を行うなら、墓を守っていられない時がある——自分の流浪を、孔子の例で正当化しています。そして最後の一句が全体の結びになります。「業を伝え名を揚ぐるを以て務めと為すべし。朽壌を顧恋して、以て堙没を取るべからず」。土地に縛られるな、伝えるべきものを伝えよ。序致篇で「二十篇を残す」と書き始めた人が、墓ではなく書物と家業に残るものを託して終わります。何を残すかを決めた人の、最後の指示です。
この章句が説くこと
古者墓して墳せず身は浮雲の若し業を伝え名を揚ぐるを務めと為す朽壌を顧恋する勿かれ
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